後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 しかし、そんな状態で斜面を登るのは簡単ではなかった。
 なんでもない平面でも大変なのに、雨に濡れて緩んでいる地盤を斜めに上っていくのだ。
 少し上ったと思ったら足を取られてずり落ちてしまい、なかなか前に進めなかった。
 一歩前進一歩後退と二歩前進一歩後退を何度も繰り返した。
 
 その間も雨は降り続いた。
 体から体温を奪い、手足は痺れ、エネルギーメーターはエンプティ―に近づいていた。
 そして、目的地はまったく見えなかった。
 しかし、この先に救いの神がいることを信じて気力を振り絞った。
 
 少し進むと、目の前に大きな岩が見えた。
 少し休もうと思って、右足を浮かせたまま岩に腰を掛けた。
 あとどれくらい登ればいいのだろうか? 
 それに、あとどれくらいエネルギーが残っているのだろうか? 
 そう考えると、距離と体力のどちらが勝つのかまったくわからなくなって、頭が真っ白になった。
 しかし諦めるわけにはいかない。
 例えエネルギーが尽きたとしても辿り着かなければならないのだ。
 崖の下に残した社員をなんとしても救わなければならないのだ。
 気を失ったまま体温を奪われ続けている彼を放っておくわけにはいかないのだ。
 男は自らに喝を入れて、杖を持つ両手に力を入れた。


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