『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 ホテルの出口に向かって歩いていると、何処からか大好きなメロディが耳に飛び込んできた。
『YOUR SONG』
 エルトン・ジョンの名曲。
 足を止めると、ピアノを弾く女性の後姿が見えた。
 白地に青い花柄が散りばめられたワンピースが何故か哀しげで、青い花が萎れているように見えた。
 
 少しして、演奏が終わった。
 しかし、拍手は返ってこなかった。
 ラウンジには何人か座っていたが、誰も聴いていないようだった。
 とても素敵なラヴソングなのに、そして、とっても素敵な演奏だったのに……、
 男は信じられない思いでラウンジを見つめた。
 
 次の曲が始まった。
『GEORGIA ON MY MIND』
 レイ・チャールズが歌って大ヒットした曲。
 甘く切ないピアノの音が郷愁を呼び起こさせる。
 東京生まれの男に故郷と呼べるものはないが、目を瞑ると、景色の代わりにあの人の笑顔が浮かび上がってきた。
 もう何年も会っていないあの人の笑顔が。
 
 思い出が消えるように演奏が終わった。
 しかし、また反応はなかった。
 誰も拍手をしなかった。
 こんなに素敵な演奏なのに……、
 でも、いや、だから青い花が萎れているように見えたのだろうと男は思った。
 聴いている人が誰もいないラウンジで、ただピアノを弾くだけの仕事に拍手という名の水が撒かれることはなかったのだ。
 そうだったんだ……、
 男はピアニストの後姿に向かって心の中で拍手をしながら、そのホテルをあとにした。

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