後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 父は調律の仕事をしていた。
 ピアノの調律師。
 だから、小さな頃からピアノのある生活が当たり前だったし、女がピアノを弾き始めるのは息をするのと同じように自然なことだった。
 だから、将来ピアニストになりたいと言った時、父は諸手を挙げて賛成してくれた。
 自らの夢を重ねるように。
 
 若い頃ピアニストとして演奏活動をしていた父は、それだけでは生計を立てることができず、ピアノの個人レッスンで生活費を補っていた。
 当時は1時間で1万円というのが相場だったので、複数の生徒に教えなければならなかった。
 その中の一人が母親だった。
 まだ学生だった母が卒業するのを待って結婚したのだが、結婚する前の2年間、ある技術を学ぶために専門学校の夜間部に通った。
 調律の技術を学ぶ学校だった。
 在校中にピアノ調律技能士3級という国家資格を取得した父は、結婚を機にピアニストを辞めて調律事務所に就職した。
 その収入は高いとは言えなかったが、1級の資格を取得するために5年間の実務経験を積み重ねた。
 それは将来独立するための布石だった。
 
 その後、晴れて1級の資格を取得すると、予定通り独立して個人事業主となった。
 嬉しいことに、独立した時多くの客が父についてきてくれた。
 それに応えるために父は身を粉にして働いた。
 女が生まれると更に拍車がかかった。
 母も近所の子供にピアノを教えて生活を支えた。

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