後姿のピアニスト ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
 やっと日本に復帰できたのは1972年5月のことだった。
 これによって沖縄の人々は日本国民としての地位を回復したが、大きな苦痛の原因を取り除くことはできなかった。
 米軍の存在である。
 日本復帰後も米軍基地が存続し続けたのだ。
 沖縄本島の15パーセントという広大な面積を持つ米軍基地には2万5,000人を超える軍人がおり、軍用機は嘉手納(かでな)基地だけで100機を数え、F15戦闘機や救難ヘリコプターなどが墜落や不時着といった事故を度々起こしている。
 更に、市街地にある普天間(ふてんま)基地は〈世界で最も危険な基地〉とも呼ばれ、常に事故の危険と隣り合わせであると共に、騒音に対する住民の我慢は限界に達している。
 また、米軍による交通事故が頻発している上に、女性に対する暴行事件もあとを絶たない。
 これは沖縄に限ったことではない。
 佐世保をはじめ各基地周辺でも起こっているのだ。
 しかし、根絶される気配はまったく感じられない。

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