後姿のピアニスト ♪ 新編集版 ♪
 お父さん……、
 心の中で呼びかけると、父の顔にご主人の笑顔が重なった。
 女は唇を噛んだ。
 もっと早く声をかけておけばよかった。
 もっとお話しをしておけばよかった。
 そうしたら娘のようになれたかもしれないのに。
 父親のようになってくれたかもしれないのに。
 でも、ほんの少ししか言葉を交わせなかった。
 ほんの少し話しただけで自分の前からいなくなってしまった。
 ミモザの花と一緒に消えてしまった。
 どうして?
 目の前の樹木は何も言わなかったが、僅かに葉が揺れたと思ったら、ご主人の寂しそうな声を運んできた。
「花は枯れても毎年咲くけど、人は死んだら生き返らないんですよ」


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