花冠の聖女は王子に愛を歌う
「…………」
 リナリアはトランクケースから手を離して大きく息を吸った。
 リナリアが歌の自主練習のためにこの森を訪れるのは決まって夜――それも日付が変わった深夜だった。

 こんなに早い時間にあの子が気づき、さらにわざわざここまで来てくれるかどうかは賭けだ。

(私がこの森に来るのは、これで最後なの。どうか私の声に気づいて、アルル)

 どうしても、リナリアはアルルに――この一年間、影ながらずっと励ましてくれた唯一の存在に会いたいのだ。

 リナリアは伸びやかな声で歌い始めた。
 アルルに届くように、大きな声で。

 パン・パン!
 素早く二度手を叩く幻聴がする。

 歌の指導をしてくれたカウセル夫人は厳しかった。

 若い頃は王都の大劇場で歌劇の主役を務めていたというカウセル夫人は、リナリアが少しでも音程を外すと顔をしかめ、手を叩いて歌を中断させた。

 ――音がずれてるわ、もう一度。
 もっと高く、声を伸ばして! もっと大きな声で! 情感を込めて!
 パン・パン! もう一度!

 正確なリズムで、正確な音程で、譜面通りに正しく歌うこと強いるあの耳障りな音はもうない。

 リナリアは自由だ。
 少しくらい音程を外しても文句を言う人間は誰もいない。

 だから、リナリアは森中に響くことを願って、自分が出せる最大の声量で歌った。
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