サハラ砂漠でお茶を
愛しの“れいら”
家賃はいつも月初めに「よ志だ」の店頭まで持っていっている。
自転車で数分だし、徒歩でも特に遠いと感じない距離で、クリームあんみつがおいしい(というより、自家製で炊いているらしいあんこが絶品)。
お昼どきに行くと、おにぎりや煮つけ、焼き魚、卵焼き、香の物などを柳行李に収めたものとみそ汁のセット「和風弁当」というのも好評らしいが、残念ながらまだ食べられていない。写真を見ただけで食欲がそそられる。
もう「おごってあげよう」という原島センセイはいないけれど、常連さんでもけっこう顔見知りの方が増えた。和風喫茶というお店の性質か、大家さんの交友関係か、年配の方が多い。
私はもともと人付き合いのいい方ではないが、やはり家で一人きりの仕事をしていると、自分でも自覚していない状態で「人恋しく」なっているみたいだ。こういうところで交わされる、何気ない会話は悪くないなと思う。
堅い勤めを辞め、1人で海辺の二軒長屋の片袖で暮らす在宅ワーカーなんてものは、どうやら隠遁者か何かに見えるようで、「女の子が若い身空で好きこのんで…」的に言われることはあるが、悪気はないのだ、心配してくれているのだと思うと、心穏やかに笑ってごまかせる。
「30まで秒読みだし、そんなに若くないですって!」と言ってみるけれど、そう言うと余計に心配されたりするのよね。「まだ間に合う!」とか。
▽▽
正直時にうっとうしいそんな声があるものの、それでも家賃を手渡しで払いにいくのは――多分創さんがそれとなく言ってくれているんだろうけど、大家さん夫婦が「ミヨシちゃん、動物は平気?」とか、「ジジババ2人だと、庭いじりも腰に負担でねえ…」と言いつつ、私にアルバイトを紹介してくれるからだ。
ハムスターのケージの掃除だったり、庭の草抜きだったり、指示さえもらえれば何とかこなせるものだし、常連のお客さんの「年賀状の文面をワープロで打ってほしい」なんて依頼をあっせんしてくれたりすることもある。
また、「不倫している僧侶について知人に相談している寺庭夫人の通話録音」などという生々しい音源を起こしたこともあった。何というか――世の中自分が思っているより広いなと思う。
ぜいたくは性に合わないし、家を売ったお金は手つかず。役所時代の貯金も多少ある。お金に困っているわけではないが、少しでも貯めておきたいし、「働いている」実感が欲しいので、「本業」のスケジュールとすり合わせ、お手伝いできそうなものは喜んで引き受けた。
多分だけど、大家さんからのご依頼の日当は、結構高く設定してある気がする。となると、現金な私は張り切って取り組むので、「安心して任せられるわ」と、また次の仕事につながる。結構いい循環だ。
そんな中、大家さんの奥さんが私に言った。
「次の日曜、何か予定は?」
「今のところは特には」
せいぜい散歩か図書館かって感じだから、予定とも言えない。
「そう。じゃ、頼まれてくれる?」
「はい、喜んで!」
内容を聞かずにホイホイ引き受けてしまった。
「よかった。実は孫を預かることになっていたんだけど、午後ちょっと用事ができちゃってね。とりあえずハジメ君ところにって思ってたのよ。でも、ミヨシちゃんが看てくれるなら安心だわ」
え、つまりお預かりするのって――創さんの、娘ちゃん?
▽▽
当日、約束の時間に大家の吉田さん宅の方に行くと、ベージュのカットソーと若草色のパッチワーク風スカートをドッキングさせたワンピース(この説明で伝わるかな?)という、実にオシャレなものをお召しのお嬢様がリビングのソファで足をぶらぶらさせ、ちょこんと座っていた。
短めのボブで、まゆより少し上で切りそろえた髪。お目々ぱっちりしているけども、創さんほど鋭い感じではなく、とても優し気な顔立ちで、頭もよさそう。きっとママさんに似ているのだろう。
私の姿を認めると、その美少女は、ソファからすとっと下り、はっきりした口調で挨拶した。
「はじめまして、おねーさん。あさくられいら、4さいです」
「ご丁寧にありがとう。私は小塚美由っていいます。今日はよろしくね」
結婚が早かったら、あなたくらいの娘がいてもおかしくない年ですよ――とまでは言う必要ないか。
「おばあちゃんが、おねーさんはパパの友達だって言ってた」
「友達かどうかは分からないけれど、いつもお世話になっている、かな」
「あと、『ぼにーとくらいど』のお部屋掃除してくれたのもおねえさんだって」
「ボニーと、クライド?」
何だかわからないけれど、そんな銀行強盗カップル(※)の部屋を掃除した覚えはない。
「ハムちゃんたちです」
「ああ…」
あいつら、そんなご大層な名前がついてたのね。
道理で暴れん坊だったわけだ。
***
※ボニーとクライド…映画『俺たちに明日はない』に登場する銀行強盗カップルのモデルとなったボニー・パーカーとクライド・バロウのこと。
▽▽
その後も「れいらちゃん」は、「おばあちゃんが、ミヨシお姉ちゃんはとてもいい人だと言っていた」と、私についてのよい情報をいろいろ聞いていると、4歳児の滑舌と語彙で語ってくれた。おしゃべりが好きらしく、話し出すと止まらないタイプなのだろう。ぎゅっと抱きしめて、ほおずりしたくなる愛らしさだ。
で、とどめの一言はこれだった。
「れいら、ミヨシちゃんのこと好きと思う」
「…ありがとう。私もれいらちゃんのこと大好きだな」
実際、少し難しい言葉は平易に言い直せばちゃんと伝わるし、とても聞き分けはいい一方で、公園の遊具で無邪気にきゃっきゃと遊んで見せたりもする。正直言って、日当を辞退したくなるほど「看ていやすい」子供で、子守というよりも、年の離れた親友ができた感覚だった。
公園で遊んだ後は自分の部屋でホットケーキをおやつに出し、大家さんの家に送り届ける前に、「パパのお店に行きたい」と言われて顔を出したら、「お、れいらか。ミヨシちゃんと仲良くなったか?」と、事もなげに言われ、「うん、ミヨシちゃんのホットケーキ、おいしかったー」と満面の笑みで返していた。
その笑顔は私にとって、その日一番の報酬だったかもしれない。
▽▽
れいらちゃんを大家さん宅に送って行った後、改めて創さんの店に顔を出した。
「れいらちゃんってお利口さんで、本当にいい子ですね」
「ありがとう。顔も中身もあいつそっくりなんだ。あれで結構口うるさくてね」
「そうですか…」
私は創さんが何気なく「あいつ」という指示詞で呼んだ人――創さんの元奥さんの顔すら知らない。
あの感じのいい吉田夫妻の一人娘さんで、この創さんと愛し合った過去があって、あんなかわいいお嬢さんを産んだ人。
会ってみたいような、会いたくないような、複雑な思いを抱かせる女性だ。