サハラ砂漠でお茶を

急襲 その2

 話は2週間前にさかのぼる。
 私は全く気付いていなかったので、ところどころに「らしい」が付く話だけれど。

 私はその日、市の環境審議会の現場に「ステノやましな」からの派遣速記者として入った。場所は市役所5階の会議室A・Bだった。

 録音機材のセッティングをしていると、故意ではなかったとはいえ、市の職員Aに延長コードのプラグを壊され、弁償するの不要だのともめていたところに、「どうかしましたか?」と職員Bがやってきた。
 このBこそが、私のモトカレである萱間博次だった。

 彼はその日の資料で一部誤りが見つかったため、修正したバージョンを持って会議室に来た。そしてそれを審議委員の机に配ったら、速やかに帰る――はずだった。
 しかし、速記者がモトカノである私だと知り、何やら煮え切らない様子で話しかけ、ぐずぐずとそばにまとわりついた(ごめんなさい、不愉快だったので少し盛りました。実はそこまでじゃないっす)。

 私は4時半頃仕事を終え、機材の撤収などをした後、5時頃庁舎の外に出た。

 そしてあまり間を置かずに停留所に来たバスに乗って帰ったので、5時2分(始点である駅前の軽い混雑の影響で実際に着いたのは5分。よくあることだ)の便だったはずである。

 ところで、瀬瑞市役所職員の退庁時間(定時)は、最速でも「17時15分」である。だからその時間の平日に、同じバス内で職員と一緒になることはあり得ない――その職員が、たまたま欠勤だったとか、早退したとかでない限り。

 私は全く気付かなかったのだが、どうやら同じ車内に「早退した職員」がいたようだ。
「環境政策課主事、萱間博次」その人である。

 ひろ…「萱間さん」は何やら名目をつけて早退し、1階住民課前の待合ロビーで時間をつぶしていたらしい(というか、本人がそう言っていた)。

 ただし、住民課にも顔見知りがいるし、長時間居座ると怪しまれる可能性もある。
 そこで、過去の環境審議会の会議録から終了時間の見当をつけ、市庁舎から歩いて5分程度のスーパー(業態はスーパーだが、デパートっぽい店)に行き、カジュアルな洋服とキャップを買った。ついでにコンビニでマスクを買った。

 個人的にはここでもう「アウト!」って感じだ。

 それらにトイレ(推定)で着替えると、4時ぐらいまで適当な喫茶店などで時間をつぶし、再び庁舎に戻った。
 これ以上遅くなると、会議が既に終わっている可能性もあるが、それを確かめにいくこともできないので、「5時までは待つ」と線を引いて、エレベーターホールが見える場所で待機した。

「もしその時間までに美由が現れなかったら、諦めて帰るつもりだった」
 と、随分キメ顔で語ってくださるけれど、私はそれを聞いてどんな顔したらいいんだよ、実際。

「…で?」
「君は諦めかけた頃、エレベーターから出てきた。だから俺は少し距離を取って後を追って、一緒のバスに乗り込んだんだ。

 瀬瑞市のバスは、地方にはよくある「後乗り前降り・料金後払い」だ。
 だから私の後方に座らなければ、私が下りるところを確認できない。まさに背後をとられてしまった。

「あと、金払う時にもたついたら元も子もないから、ちゃんと小銭があるかもチェックした」

 ほうほう。

「幸い100円玉だけで7枚あったから、たとえ終点まで行っても足りるなって安心した」

 そりゃよかったね。私には不幸以外の何物でもないけど。

「小銭なかったら、両替するつもりだったの?」
「いや、両替のとき姿を見られたら、絶対警戒すると思ったから、そのときは1,000円置いて降りようかと思った」
「いや、それはさすがに運転手さんに断られるでしょ?タクシーじゃないんだから」
「わかんないけど、そのくらい必死だったから」

 まあとにかく、そんな感じで私の家の最寄りバス停を特定した萱間(以下、敬称略)は、私に少し遅れて下車し、そこからまた少し距離を取って後を追った。

 そして私の住まいを特定し、本日午後6時30分、我が借家の「ジリン」という独特の呼び出し音が鳴る呼び鈴を押した、というわけだ。
 集金かお届け物かと財布と判子を持って出た私の気遣いに、何してくれてんだよ、このバカ男は。「来ちゃった…」じゃねーよ。

「話があるから上がらせろ」とナチュラルにせがむ萱間を扱いかねた私は、「喫茶さはら」に行こうと提案した。
 こやつと一緒にいるところを創さん(マスター)に見られるのは嫌だったが、ほかのめぼしい店までは、最低7分かかる。家に上げるよりはましだった。
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