サハラ砂漠でお茶を

理美さん


※時系列としては、この前々話に当たる「電話」の続きです。

◇◇◇

 創さんの娘・れいらちゃんを預かるのは初めてではないので、大体の要領は分かっていたつもりだ。

 お気に入りの絵本は自分で持ってくる。
 お行儀がいいので、服を汚すこともなく、念のために持たされた着がえもほぼ無駄になる(つかわない)
 お絵描きが大好きだから、裏紙(仕事柄、ウチには売るほどある!)を預けると、何時間でも描いていそう。
 動物の番組が好きなので、録画しておいたものを見せるのもアリだし、動物映画を借りてきてもいい。近所のショップでは動物映画は「子供向き」とみなされ、比較的低料金で借りられるサービスがあった。
 コンビニで売っているオレンジゼリーが大好き。

 …とはいうものの、いつもの大家さんからのあっせんではなく、お母さま直々にウチに預けにくる。
 用があってれいらちゃんを預けるのだから、預けにきた段階では忙しいだろうけど、引き取りにきたときは…お茶ぐらいお出しすべきよね。
 ここ瀬瑞は、山間部での茶の栽培が盛んな茶どころで、「みんなお茶が好き」って印象がある。ましてや和風喫茶をやっているご両親がいるわけで…。

 考え出すときりがない。
 そうそうお客さんの来る家ではないので、来客用の「いいお茶」の用意などない(買ってから何年も使わないまま廃棄、なんてシャレにならないし)。

◇◇◇

 まだ外勤めだった頃、職場の後輩だった彩乃(あやの)ちゃんという子が、「小塚さん、お茶屋さんでグラム(※下記注)800円のお茶と、スーパーで1,000円のお茶って、どっちがおいしいと思いますか?」と試すように聞いたことを思い出した。
 さっぱりしたいい子だったけれど、郷土愛が非常に強いところがあったので、時々そんなネタを振られた。

 お茶の味は値段に比例すると聞いたので、「うーん、1,000円?」と答えると、どうやらキモは「専門店か否か」だったようだ。

「まあ単純に考えたらそうなんですけど、お茶屋さんかスーパーかで答えてほしかったなあ…」
「え? あ、そうか。ごめんなさい」
「スーパーで1,000円のも悪くないんですよ。でも、何ていうのかな、お茶屋さんなら800円でも同じクオリティーのが飲めてお得というか」
「そうなの? お茶屋さんの方が高いのかと思った」
「それは高いのも扱っているというだけで。“お茶はお茶屋”って真理ですよ」
「はあ…」
「せっかくお茶どころに住んでいるんだから、小塚さんもそういうの意識してくださいよ~」

 彩乃ちゃんの助言はありがたかったけれど、繁華街まで出ないと専門店がなく、あっても閉店していた時間なので、コンビニに走ってお茶を買った。
 高いも安いもない、100グラム698円程度のもの一択。ティーバッグよりはマシだろうと腹をくくった。
 当然いつものオレンジゼリーも忘れずに。私ってば子守(シッター)の鑑だな。

***
※この場合の「グラム」とは、100グラムのことです。お肉でも使う表現ですね。
ただ、お茶に関しては「200グラムで1,000円」みたいな言い方をする方も見かけるので、念のため。

◇◇◇

 朝は「初めまして、朝倉です」という軽いご挨拶程度。
 細身の長身、ブルーのワンピースに淡い色のコサージュをつけ、嫌味のない化粧をして、いい匂いのする30代半ばぐらいの賢そうな美人――それが理美さんの印象だ。

 今は別な方と再婚しているので、決して言ってはいけない言葉だけれど、「ああ、創さんと並んだら絵になるだろうな」と簡単に思い描くことができた。

 今日はご夫婦で、仕事関係のお知り合いのレストランウェディングに出るらしい。
 れいらちゃんとはいつものように遊び、ご飯を食べ、海岸を散歩し、昼寝をして、理美ママのお迎えを待った。

◇◇◇

 理美さんは夕方になると、鮮やかでおいしそうな練り切りを、「ママたちから、小塚さんは和菓子もお好きそうだと聞いたので、こんなのどうかな」とお土産に携えて再びやってきた。

「気を使わせてしまってすみません。ありがたくいただきます」
「いえいえ」
「あの、せっかくですのでお茶でもいかがですか? もちろんご主人も一緒に」
 理美さんのご主人は駐車スペースに車を置いて、車内で待っていたらしい。

「え? お邪魔してもいいの?」
「れいらちゃんは今起きたところなので、その…調整っていうか…」

 理美さんは愉快そうに軽く笑い、「そうね、あなたとも話したいと思っていたし…」と言って、いったん車に戻り、1人で帰ってきた。

「ご主人は帰られたんですか?」
「ええ。“女の中に男が1人”でも落ち着かないだろうし、後で迎えにきてもらうわ」
「そうですか…」

◇◇◇

「れいらから聞いていなかったら、あなたの名前を「みゆ」って間違えていたわ。“みよし”と読むのね。ステキな名前だわ」
「あ、りがとうございます。確かによく間違われます」
 理美さんは多分、ポストに書かれた文字を見てそう言ったのだろう。

 「理美」という名前も、響きといい字面といい、目の前の知的で美しい女性にぴったりに思えたけれど、初対面でそんなことを言っても厚かましいかな?  お世辞っぽいかな? と、ぐるぐる考えをめぐらせてしまい、口から出てこなかった。

「高校時代、「まゆ」って親友がいたわ。あなたと一字違い、真実の真に、由来の由で“まゆ”」
「あー、はい。優しい感じの響きで、いいですね」
「そう。本当に優しくていい子だった。何でも一生懸命で、自分のことより人のことで、ちょっとお人よしで」
「へえ…」
「名前だけじゃなく、そういうところもあなたにちょっと似ていたかな」
「え、いや、私はそんなにいい子じゃないから…」

 私の答えを聞いて、理美さんはうっすらと笑みを浮かべた。

「…多分真由も、そう褒められたら、そう答えるような子だったわ」
「はあ…」
「おうちの事情で転校して、何となくそれっきりになっちゃったんだけど…」
「やっぱり会いたいって思いますか?」
「そうね、私はすごく会いたい。向こうはそう思っていなかったから、会えなくなっちゃったのかもしれないけど」
「そんな…」

 ただの名前の話から、何となく雲行きが怪しくなってきたぞ。
 しかも理美さん、お茶を一口すすると、こんなことを言った。

「真由は――佐原の初恋の人だったの」
「は…」
「さて、長居は悪いわね。お茶、おいしかったわ」
「あ、いえ、お粗末さまでした…」

 理美さんはそれを聞いてうっすら笑った後、れいらちゃんに帰り支度を促した。

「みよしちゃん、バイバイ」
「はい、またね」
「お邪魔しました。またお願いすることがあるかもしれないから、よろしくね」
「はい、喜んで」

 同じ「はい」でも、れいらちゃんへの返答と、理美さんへのそれ(・・)には、少し温度差があったかもしれない。気付かれていないといいんだけど、多分気付いているだろうなあ…。
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