サハラ砂漠でお茶を
真相
結論から言うと、萱間有希がその後、私の家を訪ねてくることはなかった。
あの日、有希(面倒なので以下それで統一)は、私と萱間との間に「今も何かある」という前提で来たらしく――というよりも、「何かあってくれ。ないなら適当につくったる」くらいの気持ちだったらしい。
◇◇◇
以下、「妻から聞いた話だが」という萱間談。不本意だが、詳しく説明したいと言うので、創さん立ち合いのもと、「Sahara」で会った。
またも私は、「信頼できない語り手」の話をひとまず信じるしかない。
まず、赤子は萱間の子ではない可能性が高いという。
有希はもともと交際していた男性といさかいがあった頃、たまたま再会した萱間と勢いで寝た。
そのときは「それっきり」のつもりだったのだが、仲直りしかけた交際相手(以下「男」)の耳に、「有希が自分以外の男と2人でホテルに入った」という目撃情報が入り、当然のようにそれでまたもめる。
時を同じくして、有希の生理がとまり、妊娠が分かった。
しかし状況が状況なので、男は「それは本当に俺の子か?」と疑問を呈する。
萱間とのことを男は知らないと思っているので、有希は必死に身の潔白を訴えたが、「お前、浮気しただろう?」だか「浮気しているだろう?」だか言われた。
しかし男もうわさを聞いただけで証拠はない。
有希は「私が信じられないのか?」という、厚かましいにもほどがあることを言い、さらに泣いてすがったが、頭の片隅では「この男に捨てられたらどうすべきか」というのを計算していた。
そして萱間を再び誘い、あえて何回か関係を持った後、「妊娠した」と打ち明けた。
「あとは――ミヨシも知っているとおりだ」
「ふうん…で、そこまでして結婚した男に「浮気していてほしい」ってどういうこと?」
◇◇◇
萱間語りパート2。
男は頭をクールダウンさせるため、あえて有希との連絡を絶っていたが、意固地になって有希の言い分を聞かなかったことを悔やみ、再び連絡を取ろうとしたら、時既に遅し。彼女は既にほかの男と結婚していた。
そこで諦めるという選択肢もあったが、有希が子供の3カ月健診のために訪れた病院で偶然再会した。
男はその子供の顔を見て、「ひょっとして…」という思いが湧いた。
そしてそれは、有希が出産してからずっと考えていたこととも一致した。
すなわち、「この子の父親は、萱間ではない」ということだ。
有希はそのことをきっかけに、男との関係を復活させた。
萱間の実家で同居していたので、適当な理由をつけて赤ん坊を姑に預けて出かけていたというから、なかなかの心臓だと思う。
有希自身が甘え上手で、姑が孫に激甘だったこともあり、「たまにはゆっくりしていらっしゃい」くらいで済んだようだ。
なーんか話聞いていたら、世の中、要領のいい人がいるもんだと、いっそ感心してしまう。
私が有希の立場だったら(まず二股できるほどの度胸がないけれど)、小さくなって生活しているだろうな。萱間のお母上は、会ったことがないのでどんな人か知らないけど。
有希は男と密会を重ねるうちに、愛しているわけでもない萱間との結婚をリアルに後悔し始め、よりを戻したいと考えるようになった。
しかし子供への情もないわけではない_ので、できれば子供は引き取りたい。
ついでに言うと、自分に非がある状態で離婚するのは嫌なので、何か夫の失点を見つけなければならない。
ということで、あれこれさぐっていたら、見覚えのない男物の服やキャップがクローゼットから発見される。
スラックスのポケットにはメモ片が入っており、バス停の名前と目印になる喫茶店「Sahara」の名前が書いてあった。
「それだけであなたが浮気してるって思ったってこと?」
「女の勘ってやつじゃないのかな」
「ああ…」
そして夫の性格上、突拍子もないところから謎の女が出てくることはないだろうと、市役所に的を絞り、友人にそれとなく話を聞いてみた。「何を聞いても驚かないから、旦那とうわさのあった女を知らないか」とか何とか。
そこで「議会にいた頃仲よくなった後輩女子がいる」「その子は萱間たちが結婚して間もなく退職した」、さらに「たしかコヅカって苗字だったはず」という情報をゲットしたようだ。
その後、タウンページでSaharaの番号を調べ、例の怪電話をかけた。
◇◇◇
「奥さんとはどうするの?」
「実は相手の男とも会ったけど、有希を愛してるって言う割に、何だか煮え切らないっていうか、いかにも迷っている感じがあって…」
萱間自身、はっきり有希を愛していると言い切れる自信はない。
その一方で、夫婦として過ごしてきた情はそれなりにある。
「こんな男と一緒になっても、有希は幸せになれないのではないか?」という、同情めいた気持ちが生じたし、男が子供を嫌っていそうな態度も心配になった。何しろ妊娠中の彼女から一時的に逃げていたことも事実だ。
「だから――親子鑑定とかもしない。このまま今までどおりやっていこうと思う」
「そう…奥さんもそれで納得したの?」
「まあなんだ――あけすけにあの男と寝たことを言われたのはきつかったけど、泣いて謝っきたから…」
ところで、「責任とらなきゃ自殺する」発言は、萱間が多少大げさに表現しただけらしい。ただ、彼が情にほだされやすいのだけは確かみたいだ。
思えば私、彼の前では一度も泣いたことないもんね。
「お前にもいろいろと迷惑をかけたな。本当に悪かった」
神妙に頭を下げる姿を見たら、いろいろどうでもよくなった。
「もう二度と私の前に現れないって約束してくれるなら許すよ」
「きついこと言うな――でもまあ、わかった」
「ありがとう。お幸せにね」
先々2人の間に、今回のことは暗い影を落とすかもしれない。
でも、それは私が心配することではない。
私を巻き込まないで勝手にもめる分には、お好きなだけどうぞ――だ。
◇◇◇
萱間は恥ずかしそうに創さんに向かってぺこっと頭を下げ、店を出ていった。
「はあ…ふう…」
私の口からは、思わず安堵のため息がもれたので、創さんは笑いながら、生クリームとチョコソースの乗ったココアを振る舞ってくれた。
「お疲れさん、これは俺のおごり」
「え、こんなのメニューにあったんだ…」
「今回は特別サービスだよ。結構イケるから飲んでみて」
創さんの言うとおり、甘味も強いが深い味わいで、トッピングも意外としつこくなかった。
「おいし…こういうの初めて飲んだ」
「気に入ってくれて、俺もうれしい」
強面の創さんが、私だけに優しく笑いかけてくれる。
モトカレ夫婦のトラブルに巻き込まれて疲弊しているからと、この笑顔も特別サービスなのだろう。本当に優しい人だ。
「余計なお世話かもしれないけど、ミヨシちゃんは結婚とか恋人とかは考えてないの?」
「そりゃあ相手がいれば、したくないわけじゃないよ、恋も結婚も」
「そうか――よかった」
「え?」
「いや、俺とのことも、ちょっと考えてほしいかな、って」
「…え?」
「だからさ、その…ああいうことになったわけだし…」
「創さん…それはさすがに“ない”でしょ」
「え?」
「私、創さんに無理させるためにあんなことをお願いしたわけじゃ…」
「何だよ、それ…」
創さんはそう言って、少し険しい表情を浮かべた。
そして「今日はもう店じまいだ」と言いながら店の入り口を施錠し、私をきつく抱きしめ、(帰るな)と耳元でささやいた。
「創さん、こわい…よ」
「君がちっとも俺の話を聞かないからだよ」
「話って…」
「俺は――あの日から君に恋してるみたいだ」