サハラ砂漠でお茶を
Happily ever after[めでたし!]
私は使い道のなかった親の遺産を、創さんの新しいお店の開店資金に使った。
道楽に近い形で喫茶店をやってきたけれど、本腰を入れて生活の糧を得る商売をしたい――というようなことを彼は言った。
お金を出すと言ったとき、最初は断られたけれど、「私、創さんに恩を売りたいの」と言ったら、ぷっと吹き出した後、正式にプロポーズされた。
その辺のくだりを後々理美さんに(うまいことそそのかされて)話したら、「結婚詐欺じゃないんだから…」と少し呆れて笑っていた。
私と創さんが一緒に暮らし始めたのを見て、れいらちゃんは「ミヨシちゃん、ひょっとして私のママになったの?」と興奮気味に言ったけれど、小学校入学後はあまり泊まりに来ることもなくなった。
でも私にとって「賢くて若くて美しいマブダチ」であることに変わりはない。
私は結婚後も変わらず山科さんに仕事をもらっている。
ちょうど「Windows95」が出た時代でもあり、まだ地味に高価だったパソコンを思い切って購入した。プリンタをつけただけで、計30万円を超えたのよ、マジで。
音源も21世紀に入るとデジタルが主流になったので、ネット環境を徐々に整えた。
私が30代半ばになる頃には、入力素材の提供、仕事の納品、調べものに至るまで、一歩たりとも外に出なくてできるまでになったので、会いたい人には意識的に自分から会いにいくようになった。だから逆に、以前よりもアクティブになったかも。
自分の仕事が暇なときは創さんの店を手伝う。
オフィス街の一角に移転した、小さいながらもランチが評判の店・新生「Sahara」は結構繁盛しているので、創さんがレトルトパウチのパスタソースを温める暇もない。
代わりに、時々私の特製ボロネーゼを食べてもらっている。
「せめて地球が滅亡する前に食べさせたい」という悲願は、思えば割とあっけなくかなってしまった。
びっくりするほど意外で些細なことで意見が合わず、けんかすることもあるけれど、まあまあ楽しく仲よくやっているし、このまま自分たちのペースで人生ってやつを運営していきたいなと思っている。
当たり前だけど、みんな少しずつ成長したり年を取ったりしている。
ティーンのれいらちゃんが恋の悩みをカウンター越しに話していたかと思ったら、いつの間にやら赤ちゃんを産むような年になっていて、私たちはじいさんばあさん気取りで、デパートにベビー服を買いにいったり。
大事な人が鬼籍に入る辛さや苦さも、それなりに何度か味わった。
そんな気持ちさえも、末永く創さんと共有していきたい。
◇◇◇
人生の中のさまざまなエピソードと、それにひもづいたいろいろな事物。
大抵は何らかのこじつけを伴って、胸に深く刻まれたりする。
ちょうどあの当時、鳴き声のけたたましい小型犬の名前がついた人気バンドが何曲もの大ヒット曲を出していて、その中の1曲でも「思い出のレコードと 大げさなエピソード」(※下記注1)ってフレーズが出てきたっけ。
甘え切れなかった――というか、心を開けてさえいなかったかもしれない恋人との別れでいっちょ前に落ち込んでいた私が、「Sahara」に入ったのも、今となっては運命だったと言い切りたい。
いわば、ボロボロの旅人だった私が砂漠で見つけたオアシスだったのだろう。
あなたとサハラ砂漠でお茶を
Tea in the Sahara with you.(※下記注2)
[了]
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※1 スピッツ『ロビンソン』(1995年 アルバム『ハチミツ』収録)より
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※2 ザ・ポリス『Tea in the Sahara』(アルバム『シンクロニシティー』収録)より