君が嘘に消えてしまう前に
優等生の素顔
ピアノに向き合う瀬川くんは、鍵盤から指を離し、ぐしゃりと髪をかき乱して深く俯く。
前髪のせいで表情が余計に見えなくて、纏う雰囲気が儚くて、本当に消えてしまいそうで。
普段とはまるで正反対な様子に、言葉を失い息を呑んだ。
気づけば私は教科書を取りに来たなんて当初の目的も忘れて、その場に立ち尽くしていた。
彼の弾くピアノは、伴奏の出来以前にその奏でる音が全てを物語っていた。
負の感情を集めて凝縮したみたいに、音の纏う空気が重い。
ーー悲惨な演奏だ、と思った。
出来が、じゃなくて彼の心が。
ぶつ切れで聞こえる不恰好で淀んだ和音が、その叫びのように聞こえて仕方がない。
そこに楽しいとかそういうポジティブな感情は見当たらなくて、代わりに心に刺さったのは…大きすぎる苦痛と憎悪だった。
自分の感情でもないのに、ぎゅっと心が握りつぶされるような気分。
聞いているだけの私でもこんな思いなのに、弾いている瀬川くんはどれほどの想いだろうか。
「…っくそ、どいつもこいつもいいように人に押し付けてんじゃねぇよ」
考えを巡らせていた私の鼓膜を突然揺らした低い声に、耳を疑った。
反射的に周囲を見回すけど、廊下に私以外の姿はない。
ーーじゃあ、今の言葉を放ったのは。
信じられないけど、彼の口からそんな言葉が出るなんて想像もつかないけど。
でも、他に可能性がないから。
…たぶん、今の言葉は瀬川くんのものなんだろう。
一瞬の驚きのあと、なぜかホッとしている自分がいた。
あの優等生と名高い瀬川くんの毒づく姿を見て安堵するなんて、自分でもどうかしてると思う。
けれど、確かにその瞬間私は何かに安心したんだ。