君が嘘に消えてしまう前に
私がピアノの伴奏の練習を始めてから、すでに二週間が経とうとしている。
進捗は思っていた以上に順調で、最近では所々は止まったりしてしまうものの最後まで弾ききれるようになってきた。
――瀬川は、最初の練習から欠かすことなく練習に付き合っていてくれている。
黙って私の伴奏を聞いていたり、弾き方の表現の提案をしてくれたり、練習の合間に少し雑談をしたり。
最初こそ演奏を聞かれるのも、話すのも緊張していたけれど、二週間も素顔らしき姿の瀬川と話していれば多少は慣れてきた。
今日も、放課後は掃除後すぐから音楽室で練習がある。
いつものようにさっさと一人掃除をはじめ、手早く廊下の掃除を終えた。
荷物をまとめ席を立ち教室を出ようとした私に、後ろから少し急いだ足音が聞こえてくる。
――私に声をかけるのなんて瀬川くらいだから、きっと彼だろう。
そう思って声をかけられる前に振り向くと、やっぱりそこには瀬川がいた。
「菜乃花、悪い。今日職員室に呼ばれてるから先に行ってて」
「知ってる。じゃあまたあとで、瀬川」
少し前から、私は瀬川のことを呼び捨てにして呼んでいる。
…最初こそ違和感がすごかったけど、最近では流石に慣れてきた。
こうなった経緯は、確か3回目の練習の時だったと思う。
いつものように私がピアノを弾いて、瀬川がそれを聞く。
そうやって数時間の練習を終えて帰るときに、瀬川がふと、そうだ、とつぶやいた。
反射的に振り返ると、微笑を浮かべた彼と目が合った。
「これから本番まで一緒にやってくわけだし呼び捨てでいいよ。今の呼び方、なんか他人行儀な感じがするから」
あまりにさらっと言われて、一瞬言葉が耳を素通りした。
呼び捨て。私が、あの瀬川くんを。
そもそも彼でなくったって、今まで苗字であろうと男子のことを呼び捨てにしたことなんてないのだ。
――いきなりハードルが高すぎる。
ちらっと彼のほうをうかがうと、いつのまにか板についた無表情が返された。
「…じゃあ、瀬川」
真正面からいうのはなんだか気恥ずかしくて、少し視線をそらしてそうつぶやく。
視界の端で瀬川くん…じゃなくて瀬川が「そんな緊張しなくていいのに」と半ば呆れたように言った。