🕊 平和の子 、ミール 🕊 【新編集版】
 その前振りは7月に発表した論文にあった。
『ロシア人とウクライナ人の歴史的統一性』だ。
 その内容は、ロシア人とウクライナ人は一つの民族であり長い間単一の国家を形成していたという歴史があるにも拘らず西側諸国の影響を受けてロシアに対抗する姿勢を鮮明にしたこと、ウクライナのネオナチがクリミアやドンバスでロシア系住民を蹂躙(じゅうりん)したこと、更に、EUやNATOへの加盟を目論んでおり到底許せるものではないといったものだった。
 ソ連邦崩壊後、迫りくる西側諸国の拡大に警鐘を鳴らしたのだ。
 そこにはロシアを正当に認めてくれないという積年の恨みと共に、これ以上危険なゲームを進めるのなら容赦はしないという警告が込められていた。

 しかし、ウクライナも西側諸国も重要なサインとは受け取らなかった。
 勝手な作り話だと一笑に付したのだ。

 それを見てお前は次の行動に移った。
 ウクライナ国境への派兵を大幅に増やしたのだ。
 その数は10万人を超える規模へと拡大し、ベラルーシにも3万人を送り込んだ。
 いつでも攻め込める体制を作ったのだ。
 
 それを察したアメリカは警告を発した。
 侵略がいつ始まってもおかしくないという分析を矢継ぎ早に繰り出した。
 衛星写真を含めて機密情報を公開したのだ。
 しかし、世界の危機感は薄かった。
 少なくとも北京オリンピック・パラリンピックが終わるまではロシアが行動することはないと高を括っていた。
 
 そんなムードを嘲笑うかのようにお前は侵攻を決断した。
 それはオリンピック閉会式の4日後であり、パラリンピック開幕前の2月24日だった。 
『特別軍事作戦』と名付けた侵攻は東部ドンバス地方にとどまらず首都キエフもターゲットとした。
 特殊部隊を投入することによって、ネオナチの首謀者とみるゼレンスキー大統領の首を狙ったのだ。
 一気に体制を崩壊させて傀儡(かいらい)政権を樹立するのが目的だった。
 しかし、それは失敗に終わった。
 大統領府の堅い守りに阻まれて彼に近づくことさえできなかった。

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