瞳の向こうに

夜空を見上げて

 ギシギシギシ……と木床を歩く音。
 ふぅ……、軽く息を吐いた彼女。
 温暖色の灯りの下、エプロン姿の彼女は、マグカップを両手で握ると窓辺に歩き出し、
窓際に置いてある四本足の木目の椅子の上にマグカップをそっと置くと、建付けの悪い
窓枠に手を伸ばし、拳を握るように両手で今夜も窓枠を掴み勢いよく上に押し上げた。

 ガラガラガラ……。
 鈍い音とともに、夜の冷たい風が部屋の中に吹き込んできた。
 少し湿気を帯びた外気臭と排気ガスの匂いが、この場所が都会の片隅であることを教えてくれる。
 窓辺から身を乗り出すように、彼女は夜空に輝く星々を見上げると、そっと目を閉じた。
 少し遠くからアスファルトを歩く靴音が聞こえて
くる……。

バタン……。
 後部座席のドアを閉める音が、今夜も雑踏の中に消えていく……。
 「お疲れ様でした」
 彼は、鞄を肩にかけると会釈をした。
 「本当にここでいいの?」
 運転席の女性が彼に声をかける。
 「はい……」
 彼がそう返事をすると女性は、
 「自宅マンションじゃなくていいの? 最近、いつもこの辺で車を降りるわね。
何か特別に理由でもあるのかしら?」
 と不思議そうに尋ねた。
 「いえ……特別な理由はないですよ。ただ、この歩道を歩くだけなんですが、気持ちが
落ち着くというか……リフレッシュできるんですよ」
 彼がそう答えると、
 「そう……ならいいけど。
 変な人に絡まれたりしないように気をつけてね」
 と言うと女性はギアを入れ直し、車を発進させた。
 走り去る車を確認した後、キャップを深く被りなおした彼は歩道を歩き出した。

 近づいて来るアスファルトを歩く靴音が止まった。
 彼女がゆっくりと目を開けると、そこには、キャップを深く被った黒いパーカー姿の
男性が彼女のいる窓辺を見上げていた。
 少し驚いた彼女は思わず、
 「こんばんは……」
 とその男性に声をかけた。
 すると、男性も、
 「こんばんは……今夜も星が綺麗ですね」
 と彼女に声をかけた。
 深く被ったキャップの下からは、彼が、僅かに微笑んでいるように見えた。

 「じゃあ……」
 彼は、彼女を見ると軽く会釈をしてその場を歩き去った。
 ガラガラガラ……。
 今夜も古びた窓枠が下ろされる音がする。

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