瞳の向こうに

静かな夜

 カチカチカチカチ。
 時計の秒針が、ふたりの時間を刻んでいく。
 「うん、これでよし」
 透明の瓶に水を入れ、俺が持ってきた花の名前……は、バラぐらいしかしらないけど。
 彼女は小さな花束の包みをバラシて花を生けると
満足そうに、テーブルの中央に飾った。
 「ねぇ、この部屋、テレビないんだね。
 観ないの? テレビ……」
 彼が尋ねると、
 「うん……テレビはあんまり観ないかな。
 PCとタブレットがあれば十分だよ。
 情報も色々と入って来るし……」
 と話してくれた。
 「そっか……」
 彼がそう呟くと今度は彼女が聞いてきた。
 「ところで、あなたは何の仕事をしているの?」
 「仕事? どうしてそんなこと聞くの?」
 「だって、いつもこんな時間に鞄さげて
歩いているでしょ? 
 服装からして、会社員じゃないよね? 年齢からみても自営業……じゃないみたいだし」
 「職業ね……何に見える?」
 「う~ん……なんだろう? もしかして、もう起業しているとか?」
 「ブー、ハズレ……」
 「う……ん、う……ん?」
 首を傾げ、真剣に考えている彼女を見ながら、ニヤつく彼はマグカップに口をつけた。
 「あ、わかった!」
 彼女の目がパチッと見開いた。

 「で、答えは?」
 「ズバリ……、ホスト……」
 「……」
 「え? 外れ? 違うの?」
 「ホストね……俺が? う~ん、違うな」
 「そうなんだ……残念」
 「で、どうしてそう思ったの?」
 彼はテーブルに肘をつき、頬杖をつくと彼女に尋ねた。

 「だって……あなたの瞳が……その……」
 「俺の瞳が? なんだって?」
 「瞳が凄く綺麗で……誰にでも優しそうだから、
てっきり、そうかなって思って……
それに、周りからイケメンですねって言われない? 
 いつもキャップや帽子を被ってるけど…… 
被らないほうが全然いいと思うんだけど」

 あなたが、キャップをとった瞬間、サラっとした黒髪と澄んだ瞳に……
私は、思わずドキッとしてしまった。
 あなたは……誰? 心の中でそう呟く私。

 「ふ~ん。俺ってイケメンなんだ。ありがとうね」
 「なに~? 答え教えてくれないんだ」
 「残念、ハズレたからね……教えない。
 それに、通りすがりの見ず知らずの男の職業なんて知る必要ないでしょ……」
 「それは……そうだけど」
 「そんなことより、君は誘われたら、平気でついて
行っちゃうタイプなの? 
 そういう感じにには見えないけど……」
 「え? 私、そんなんじゃないから」
 口を尖らす彼女。
 「だって……その、俺を部屋に入れてくれたでしょ?」
 「それは……あなたが強引に……
 誕生日お祝いしてって……言って……」
 「……ごめん、そうだった。俺が強引にだった。
 気分悪くしたでしょ? 本当にごめんね」
 「別にいいよ……
 でも、私、普段はこんなことしないよ……絶対に……」
 真剣な眼差しになった彼女の瞳が俺を見つめた。

 わかってるよ……君がそんな子じゃないことくらい……俺は心の中でそう呟いた。
 「だから、ごめんって……」
 両手を合わせて謝る彼にクスッと笑う彼女。

 カチカチカチカチ……。
 静かな部屋に秒針が動く音が響き渡る。

 「あ、もうこんな時間だ。ごめん、長居し過ぎたね」
 彼の言葉に彼女が壁時計を見ると、時刻は午前零時を
示していた。

 鞄を持ち、マットの上で靴を履いた彼は、キャップを
深く被りニコッと微笑むと、そのまま玄関から出て行った。

 彼女は、窓際に歩み寄ると、窓枠に手をかけ窓を開けた。

 ガラガラガラ……。
 真夜中に鳴り響く窓を開ける音は、車が往来する道路に少しだけ届いたようだ。
 彼が二階の窓を見上げると、温暖色の柔らかい明かりを背に彼女が顔をだしているのが見えた。
 「今日は、ありがとう、楽しかった。
 素敵な誕生日になったよ」
 彼がそう言うと、窓辺から身を乗り出した彼女が、
 「昨日だけどね……誕生日」
 と言い返した。
 「はは……そうだった。あのさ……」
 「何?」
 「珈琲……また飲みにきてもいいかな?」
 「う~ん。たまになら……」
 「わかった。ありがとう……じゃあ」
 「気をつけて……おやすみなさい」
 彼女が優しく微笑んだ。

 「おやすみ……」
 彼は彼女にそう告げると、歩道を歩き出した。
 しばらくすると、ガラガラガラ……と窓を閉じる音が静まり返った歩道に響き渡った。
 都会の片隅で出会った名前も知らない男女の静かな夜が更けていった……。
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