瞳の向こうに

彼女の日常

「はい、頼まれてましたカフェに飾る分です」
 彼女がキャンパスに描かれた油絵を布袋から取り出した。
「いつも、悪いね……急な仕事引き受けてくれて。こちらとしては、凄く助かるけどね」
 画廊のオーナーが彼女に言った。

 「いいんですよ。こっちも本業の油絵でお金を頂けるなんて。
 オーナーがお仕事をくださるお陰で、この度、やっとバイト生活から抜け出せました」
 彼女が微笑んだ。

 「ならいいんだけど……。でも、君もそろそろ本場で修業したいんじゃないかなって
思って……。君の恩師の……先生から誘いがあったんだろ?」
 「ええ、まぁ……。でも、私みたいな者、この世界に沢山いますから」
 「そうかな? まぁ、君の描く絵画は人気があるからな……ほら、この前試しに出した
作品、オークションでも高値がついただろ?」
 「たまたまですよ。でも、確かにそのお陰で、恩師からも連絡が入ったんですけどね……」
 「我が、画廊としては、君みたいな将来有望な画家を手放したくはないんだが……。
 でも、海外で修業をして名実ともに有名になってほしいかな……。
その時は、我が画廊専属の画家になってくれれば……なんて期待してるよ。
 もし、気が変わって海外に行くことになったら、私はいつでも応援するからね」
 オーナーが微笑みながら言った。
 「ありがとうございます。その時が来たら、よろしくお願いします」
 彼女は会釈をすると、画廊のドアを開け表通りを歩いて行った。

 本当は……自分の力を試してみたい。でも、もし通用しなかったらと考えると、 
どうしても一歩を踏み出せない。そんな弱い自分に腹が立つ。
 部屋に戻ると、絵筆を握り一心不乱に白いキャンパスに色を重ねる彼女……。
 カチカチカチカチ……。
 時計の秒針が彼女の部屋に響き渡り、今夜も彼女の部屋に温暖色の灯りが灯る。
 「あ……もうこんな時間だ」
 絵筆を置いた彼女は、冷蔵庫の食材で簡単なものを作り、テーブルに座って
遅い夕食を食べ始めた。
 テーブルの上には、通りすがりの彼がくれた綺麗な花々の最後の一輪が、
瓶の中に差し込まれている。
 食事を食べ終えた彼女は、再び絵筆を握ると、キャンパスに色を重ね始めた。
 「ふぅ~、今夜はこれでおしまい」
 彼女は、絵筆を置くと窓際に歩み寄り窓枠を握り、窓を開けた。

 ガラガラガラ……。
 ゆっくりと開けられた窓からは、部屋にこもっていた油絵の具の匂いが
一気に外に流れると、入れ替わるように夜の香りが部屋の中に流れ込んできた。
 無意識に歩道に視線を送る彼女。
 「最近、通らないな……。さては、転職したのかな?」
 そう呟くと、彼女は窓を閉めた。
 時計の針が午前零時を回る頃、彼女の部屋の灯りも消えた。
 
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