アイドルに推された私  仕事の依頼主は超人気者

クリスマスイブの夜

 ウイーン、自動ドアが開く。
 両肩に荷物を抱えキヌコさん仕様の唯が悠のマンションにやって来た。
 コンシェルジュが声を掛ける。
 「キヌコさん、今日は大荷物ですね」
 「はい、今日は色々と頼まれまして」
 カードキーを受け取ると唯は、悠の部屋に向かうEVに乗った。
 ガチャ、パタパタパタとリビングに入って来た唯。
 『連絡ノート』を開き作業内容を確認すると、買って来た食材を取り出しオードブル作りの下ごしらえと調理を
始めた。
 キッチンに響き渡る包丁が食材を刻む音、コトコトコトと鍋で食材を煮込む音。
 シャーシャーシャーとフライパンで炒める音が部屋中に響き渡る。

 カチカチカチ、時計の音が時を刻んでいく。

 午後七時、
 「ふ~なんとか、間に合うみたいだ」と安堵する唯。
ダイニングテーブルに並べられたオードブルの数々。
 「あとは……」と唯が言いかけた時、玄関のドアが開く音がした。

 カチャ……。
 帽子を被りサングラスをかけた悠が帰って来た。
 「こんばんはキヌコさん。お仕事ご苦労様」笑顔の悠。
 「お仕事、お疲れ様でした」と唯はお辞儀をした。
 テーブルに並べられたオードブルを見た悠。
 「わ~凄い! 旨そう流石! キヌコさん」と嬉しそうな顔をする悠。
 悠は手に持っていたケーキの箱を唯に渡す。
 「はい、クリスマスケーキ」
 唯はケーキの箱を受け取ると箱の中からケーキを出し
テーブルの上に置いた。
 「凄い、クリスマスディナーだ……」と呟く悠。
 悠が、唯の前に立つと、
 「じゃあ、クリスマスパーティはじめようか。でも、その前に着替えてきなよ」
 と微笑みながら唯に言った。
 「えっ? 着替えるって?」と少し驚く唯。
 「だって、そのフワフワアフロもどきとトレーナー姿じゃぁね……雰囲気出ないでしょ?」
 「え~っと、でも服が……」
 「大丈夫だよ。だって昼間着てたじゃん。可愛い服……」と悠が言った。
 「えっ?」と驚く唯。
 「だって、昼間、俺らのコンサートに来てたでしょ? 
 最前列のど真ん中……」
 「バレてたんですね……」
 「そうだよ。だって目があったよね?」
 「ははは、そうでしたね……」
 「じゃ、そういうことでキヌコさん、荷物を持って一旦、外に出て」と悠が言った。
 「え……何で?」と不思議がる唯。
 「六十三歳のキヌコさんは、一旦帰宅していただきます」と悠が微笑んだ。
 「どういうことでしょうか?」と唯が尋ねた。
 「ほら、カードキー返却しなくちゃ怪しまれるでしょ? だから一旦、キヌコさんはマンションの外に出てほしいんだ。
 知っての通り、地下の駐車場から直通で上がれるEVがあるから、キヌコさんはそこに来てくれれば俺がそこで待ってるからさ。
 一緒にEVで戻ってくれば問題ないよ。わかった?」
 「う~ん、面倒くさいですね。わかりました」と言うと唯は玄関から外に出て、コンシェルジュにカードキーを返却すると自動ドアから外に出て行った。

 地下駐車場のEV前に唯がやって来と彼女を待つ悠の姿、
 「じゃあ、行こうか……」と言うと悠は唯を連れてEVに乗り込んだ。
 部屋に戻った二人、悠が唯に言った。
 「じゃあ、キヌコさん、お着替えを」
 「はい、じゃあ着替えてきます」
 「洗面所はあっち……」と悠が言うと、
 「知ってます」と唯が笑いながら答えた。

 悠はリビングの椅子に座るとテーブルに並ぶ料理を見て優しく微笑んだ。
 洗面所で洋服に着替えた唯、大きなトートバックに入れられたウイッグ、トレーナー、スラックス、そして
身分証明書。
 鏡の前に立ち髪の毛を整え、顔を洗うと少しだけメークをした。
 口元にひかれる薄いリップグロス。
 彼女は、『キヌコさん六十三歳』から『ショートカットのサラサラ髪の上村唯、二十四歳』に戻った。
 着替えを終えた唯が悠の待つリビングに戻ってきた。
 「お待たせしました……」
 唯の姿を見た悠ニコッと笑うと、
 「いいじゃん……」と呟いた。
 悠は、グラスを取り出すと唯に渡しシャンパンを注ごうとした。
 「あ、お酒はいいので私はこれで……」
 と言うと唯はグラスにオレンジジュースを注いだ。
 「じゃあ、乾杯」二人はグラスを傾けた。
 カチャ……ン。
 ガラスの合わさる音がリビングに響いた。
 「キヌコさん、美味しいな~」
 「それは、よかったです」
 「最高だよ。本当に……」
 「本当ですね。我ながら上出来です」
二人は、楽しそうに会話をしながら食事を楽しんだ。
 「よかったです。東田様の口に合って」唯が言った。
 「キヌコさん、今は悠でいいよ。悠って呼んで」
 「じゃあ、悠さん……」と少し恥ずかしそうな唯。
 「ねぇ、キヌコさんの本当の名前が知りたいな。キヌコって本名じゃないんだよね?」
 と悠が呟いた。
 「それはできません。お仕事ですから」きっぱりと返事をする彼女。
 「そうか。じゃあ仕方ないな。話題帰るよ。
 今日のコンサートどうだった?」
 「凄くよかったです。歌もダンスもカッコよかったです」
 「それって、昔聞いた感想と一緒じゃん。模範解答ありがとうね……」
 「え、覚えてたんですか? 私のこと……」
 「うん。ある意味強烈だったからね。キヌコさんがウイッグ外してた日にキヌコさんの顔見たらバーンと頭に
あの時の光景が浮かんだ」
 「そうだったんですか。失礼しました」
 「でも、褒めてくれて嬉しいよ。ありがとう。あ~でも ひとつだけ言っていい?」
 「はい。なんでしょうか?」
 「コンサートの時、翼のうちわ振ってたよね?」
 「あれは……その、一緒に行った友達のもので」
 「あ~、例の俺らの箱推しの?」
 「そう、そうなんですよ」
 「そうなんだ。よかった~」
 「えっ?」と唯が呟くと、
 「いや、何でもないよ……」悠が顔を横に向けた。
 テーブルの上で『連絡ノート』に記入をする唯を
見つめる悠。
 「いつも、そうやって書いてるんだ」
 「はい……あ……明日は、どうしますか?」
 と唯が尋ねた。

 「ああ、じゃあ……」と言うと悠がノートに書き込んだ。
 「はい」とノートを渡す悠
 「明日は買い物だけですか?」唯が不思議そうに
 聞き返した。
 「うん。明日は、食材の買い物だけ。あっ! ノートには大掃除って書いておいてね。
  で、俺が作るから晩飯」
 「えっ? 悠さん、料理作れるんですか?」
 「作れるよ。少しなら。いつも美味しい料理作ってもらっているからそのお礼に……」と悠が微笑んだ。
 「それじゃ、時間が余り過ぎますけど」
 と唯が悠に聞いた。
 「あ~それは、俺が帰ってくるまで適当に過ごしてて。
 テレビとかつけてDVDとかもあるから……」
 「いいんでしょうか?」
 「いいんです」と悠が微笑んだ。

 EVを降りる二人、
 「大丈夫ですか? 一緒にいて……」不安がる唯。
 「大丈夫だよ。このマンション芸能人とか有名な人が結構いるみたいなんだ。
 EVも多くて、ほとんど顔合わせることがないくらいに
セキュリティばっちり。
 それに、キヌコさんの本当の姿誰も知らないでしょ? コンシェルジュは六十三歳のキヌコさんしか知らないし」
 エントランスロビーに着いた二人。
 「キヌコさん、今夜は楽しかった。ありがとうね……」と悠が優しく微笑んだ。
 「いいえ、こちらこそ楽しかったです」
 「じゃあ、また明日……」悠が手を挙げた。
 「はい、また明日……」と唯が会釈をした。
 「おやすみ」
「おやすみなさい」
 と言うと唯は自動ドアから外に出て行った。

 唯の後ろ姿を見送った悠が向きを変えると
コンシェルジュと目が合った。
 悠が会釈をすると、コンシェルジュも会釈をした。
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