アイドルに推された私  仕事の依頼主は超人気者

キヌコさんさようなら


 四月末日 今日は、キヌコさんが悠の部屋を訪れる最後の日。
 唯は、会社に頼んで最終日にはひとりで訪問することにした。
 悠の部屋を最初に訪れた日と同様に部屋に入ると全体を見渡す唯。
 唯の頭の中に、友人の代わりに行ったライブで
初めて悠を見た日のこと、ライブの帰り道に悠から
声をかけられたこと、契約者が悠と知ったあの瞬間、
本当に色んなことを思い出す。
 「よし!」
 唯はそう言うと、掃除機をかけ洗濯物を干し、調理を始めた。

 三時間後、
 「これでよし……」唯はすべての家事を終え、
『連絡ノート』に仕事内容を記入し、
メモ用紙に悠への『感謝の言葉』を綴った。
 唯はリビングの入り口に立つと一礼し、
 「東田様、ありがとうございました」と言うと部屋から出て行った。
 EVを降りて、エントランスに到着した唯。
 カウンターに立つコンシェルジュの元へ歩いて行く。
 「鍵お願いします」と悠の部屋のカードキーを返却する。
 コンシェルジュの林が唯に声を掛けた。
 「キヌコ様、今日で最後なんですね。お疲れ様でした」
 「林さん、ありがとうございます。こちらこそ、お世話になりました」
 林が、カウンター下から花束を取り出すと唯に渡した。
 「これは心ばかりですが、私達コンシェルジュ一同からです」
 「私にですか? ありがとうございます」嬉しそうに花束を覗き込む唯。
 「そして、これは、東田様からです」と言うと林は
カウンターの下から一段と大きな花束を渡した。
 大きな花束を渡された唯は嬉しさが込み上げ、涙が
出そうになるのをグッと堪えると
笑顔で、「まぁ、素敵なお花……」と呟いた。
 唯の嬉しそうな顔を見た小林が、
 「東田様はキヌコ様が来られるようになってから、
お見かけする度に表情が明るくなれて
顔色も良くなられてとても充実されているような感じがしておりました。
 きっと、キヌコ様のお仕事が物凄く東田様を支えているんだろうと思っていました。
 私達も、寂しくなりますが東田様もお寂しいと思います。
 あ……すみません、つい余談を……
東田様より、お元気で頑張って下さいとのことでしたよ」
 「そうですか。東田様にありがとうございました。お身体に気をつけてとお伝えください」
 「はい、承知致しましたお伝え致します。
 キヌコ様も……」
 「はい、お世話になりました。さようなら」と言うと唯はマンションから出て行った。
 
 マンションを見上げる唯……。
 こうして、『ニコニコ家事代行サービス』エース
『キヌコ』さん六十三歳はこの日、会社を退職した。
 仕事を終え帰宅した悠、
テーブルの上の「連絡ノート」に目を通すと、
「キヌコさん、お疲れ様……」と呟いた。
 そして、貼られたメモ用紙を手に取った。

 悠さんへ
 今日で最後になりました。
 キヌコさんとして働くようになって様々な契約者様のお宅にお伺いして来ましたが、
悠さんのご自宅が一番思い出深いものになりました。
 私は、明日から養成所に入り、自分の未来に向かって、スタートラインに立てるように頑張ります。
『RAIN』の悠さんから『推して』もらえるなんて本当に普通じゃあり得ないことですよね……
嘘でも、嬉しかったし、背中を押してもらえたことに心から感謝します。
 いつか、絶対に悠さんの前に立てるような人になれるように努力します。
 今までありがとうございました。
 そして、最後まで名前と連絡先をお教え出来ずにすみません。
 これは、気持ちですがこの前のお礼です。
 悠さん、お元気で、頑張ってください! 
 さようなら……。キヌコ
 「メモ用紙に書く長さじゃないよな。
 それに、俺『噓』じゃなくて『マジ』で
推してるだけどな……」と言うと繋がったメモ用紙を
大事そうに折り曲げると机の引き出しにそっといれた。
 机の引き出しには、沢山の悠と唯が交換したメモ用紙がしまわれていた。
 そして、唯から贈られたものを見て、悠は嬉しそうに笑った。

 仕事を終えた唯のアパートでは親友の千春が唯の慰労と新しい門出を祝うために待っていた。
 「唯、お疲れ様、そして、明日から頑張って! 応援してるから……」
 と言うと、缶ビールで乾杯をしふたりは夜遅くまで色んなことを語りあった。
 唯の部屋には小林から貰った花々、そして悠から贈られた綺麗な花々が部屋全体を彩っていた。
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