大正ゆりいろ浪漫~拝啓 死神の旦那様~
 花奏は力を入れると、ガラス戸を横に引く。

 その途端、身を凍らせるような冷たい風が吹き込んできて、花奏を包み込んでは去っていった。

 一瞬目を細めた花奏は、再び目線を上げた先に、あの離れが見え、はっと息を止める。


「旦那様」

 その瞬間、まるで隣でほほ笑んだかのように、志乃の声が耳元で響いた。

 それは穏やかな、日の光を浴びたような、箏の音色のように優しい声……。


「志乃……」

 花奏はたまらずに、志乃の名を呼ぶ。

 このまま志乃が谷崎の元にいけば、花奏があの離れで、志乃の箏を聴くことは、もう二度とないだろう。

 香織の形見の箏と共に過去に閉じこもっていた花奏に手を差し伸べ、花奏が香織の旅立ちを受け入れられるきっかけを作った志乃の箏の音は、二度と花奏の元では響かないのだ。

 二人で過ごした穏やかな日々が、二度と訪れることはないのと同じように……。


「志乃……」

 再び志乃の名を呼んだ花奏は、ぐっと拳を握り締める。

 これで良いのだと、散々自分に言い聞かせていたはずだ。

 それなのに……。
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