大正ゆりいろ浪漫~拝啓 死神の旦那様~
 どきどきとしながら箏の前に来た志乃は、着物の裾をおさえながらそっと座る。

 見ると弦は平調子で合わせられているようだ。

 志乃は漆の入れ物から箏爪を取り出すと、親指・人差し指・中指に爪をはめた。


「では六段から」

 お師匠様の澄んだ声が響き、志乃は一旦深呼吸をすると弦の上に手を添える。

 そのまま、やや緊張した指先で、最初の弦を弾いた。

 ピンと初めの一音が響き渡った瞬間、志乃の全身に電気が走ったように箏の音色が駆け巡る。


 箏曲(そうきょく)“六段の調(しら)べ”は、幼い頃より何度も弾き込んでいる。

 それでも弾く度に新しい気づきがあり、何度奏でても終わりはないのだと感じさせられた。


 ついいつものように夢中になって箏に向き合い、弾き終わった志乃ははっと顔を上げる。

 今、誰かが志乃を見ているような気がしたのだ。

「え?」

 志乃は慌てて小さく辺りを確認したが、変わった様子は見られない。


 ――きっと、思い違いね。


 志乃は少しだけホッとすると、再び姿勢をただして箏に向かう。

 今日は障子が開け放たれているから、そう感じただけだろう。

 今までのお稽古と何ら変わりはないのだ。

 ただ一つ、風に運ばれるガタクリという音以外は……。
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