大正ゆりいろ浪漫~拝啓 死神の旦那様~

事の始まり

 柔らかな風がそっと頬を撫でていく。

 ボーっという船の汽笛を聞きながら、志乃は大きな門構えの家を後にした。


 今日は週に一度の(こと)のお稽古の日。

 熱が入ったお師匠様(おっしょうさま)の指導のせいか、お稽古の後はどっと疲れが押し寄せてくる。

 志乃は一旦足を止めると着物の胸元にしまったハンケチを取り出し、じんわりとにじむ汗を拭うように、そっと額にあてた。


 瀬戸内海の内部に位置するこの港町にも、そろそろ初夏の足音が聞こえている。

 一年を通して温和なこの地域は、夏は短く、そのぶん少し蒸し暑い。

 志乃は汗を拭ったハンケチを胸元に戻すと、多くの商店が立ち並ぶ通りへと入った。


 ふと顔を上げると、着物姿に日傘をさして、楽しそうにほほ笑む女性たちがやってくるのが見える。

 そのモダンな装いに、志乃は思わず足を止めて魅入ってしまった。
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