大正ゆりいろ浪漫~拝啓 死神の旦那様~
「旦那様、そろそろ」

 すると側に立っていたらしき、誰かの声が聞こえて来る。

「あぁ、そうだな。では、失礼」

 男性はそう言うと、そのままくるりと志乃に背を向けた。

 その瞬間、一つにくくられた男性の長く艶やかな黒髪が、サッと風に揺れ、その弧を描くような流れが、残像のように瞼に刻まれる。


 どうも男性は車を待たせていたようで、道の脇に停めてあった四角い馬車のような自動車へ乗り込むと、そのままガタクリと鳴る音とともに消えていった。

 志乃は、物珍しそうに自動車に集まっていた通行人に混じって、立ち去る車の影をそっと遠くから見送った。


 まだ全身がどきどきと火照っている。

 あんなに近くで、大人の男性と面と向かったのなんて、初めての経験だ。

 それもあんなに美しい男性に。


「あんな方がこの世にいるなんて……」

 志乃の口元から思わず言葉が漏れ出る。

 そのまま志乃はしばらくの間、美しくて儚く今にも消えてしまいそうな男性の、風になびく長い髪を、ぼんやりと思い出していた。
< 7 / 273 >

この作品をシェア

pagetop