父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
🎏 六年に一度の決まりごと
俗に「人別帳」と呼ばれる「宗門人別改帳」は、そもそもはキリシタン(キリスト教徒)を嫌ってバテレン(宣教師)を国外へ追放した初代の公方様(徳川家康)が国内にいる信徒をあぶり出すために、檀那寺に檀徒である証文を書かせてキリシタンではなく仏教徒だと云う証をさせた「宗門帳」(寺請制度)に端を発したものだった。
やがてキリシタンがほとんど見られなくなった八代の公方様(徳川吉宗)の頃になると、家族ごとの名前や歳および続柄等が記された「人別帳」も加わるようになった。
江戸の町家では、六年おきに町名主によって取りまとめられ、町奉行から任を受けた町年寄へ差し出すことになっている。
ゆえに、町年寄の許に納められた宗門人別改帳を見れば、各町にどれだけの男女がどんな間柄で暮らしているのかはもちろんのこと、家持(家主)・家守(管理人)・店子(借家人)の類や、親の代からの江戸住まいなのか或いは何処の故郷から江戸に出てきたのかなども一目瞭然であった。
「先達て、名主さんから淡路屋の旦那様にお達しがあってな。早速、家守のあっしにうちの店子らの人別を調べとくれとのこった」
此の裏店の家持は廻船問屋の淡路屋だ。
すると、 古参の女房が訳知り顔で口を挟む。裏店の女房連中にとっての「名主」だ。
「えーっと、ここんとこ六年で新しくなった顔ぶれはってぇと……みんな待っとくれ、あたいが今思い出すからさ」
「いや、そいつぁ心配無用だ」
されども、茂三がぴしゃりと制す。
「越してくるときに、ちゃあんと寺請証文を預かるようにしてっからな」