父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

御新造は手にした湯呑みを畳の上に戻した。

「……離縁したらば、嫁ぎ先を出ても兄に代替わりした実家へは戻れませぬ」

男余りの江戸ではおなごが再嫁するのは至極あたりまえのことである。

現におよねも茂三が二人目の連れ合いだ。

されど、御武家は違う。

武家にとっての婚姻は家と家との繋がりだ。

よって、其れが絶たれて出戻ってくるなぞ「御家の恥」以外の何物でもない。

「わたくしは、昔なじみの淡路屋さんの伝手(つて)を頼って町家に居を構えとう存じまする。その際おなごの一人住まいは侘しいゆえ、親の居らぬ子を世話してもらって引き取り、我が子同然に育てる心(づも)りにてござりまする。
淡路屋さんには其れも含めてさまざまな話を聞いてもらっておりまする」

いくら昔なじみとは云え、おおよそ交わることのない武家の御新造と廻船問屋の淡路屋が、道理で心やすうしていたわけだ。


さすれども——

「離縁なすっても実家を頼らず町家で住むってのは、口で云うのは(たやす)いが……」

裏店を任されて日々店子たちを見ている茂三の目からは、如何(いか)にも世間知らずの御武家の娘が戯言(たわごと)を夢見ているごとく映ってしまう。

「女手(しと)つで子を抱えての日々の暮らしなんぞ、よっぽどの手に職でもなけりゃ成り立たねえでやんすよ」

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