ひとり焼肉が好きなひと。

ひとり焼肉 ホルモン5枚目

◇◇◇

 2人は待ち合わせた居酒屋の暖簾をくぐった。

 「いらっしゃいませ、2名様でよろしいですか?」

 ちょうど会計を終わらせたスタッフに声をかけられた。

 週末の金曜日のためかお客さんでいっぱいだった。


「はい。2人で、できれば個室でお願いします」
「かしこまりました。ちょうど今、個室が空いたところなので、ご案内しますね。お客様、2名様ご来店です!!」

周りのスタッフに聞こえるように大きな声でさけんだ。ところどころですれ違うスタッフが笑顔で挨拶してくれた。

「いらっしゃませ!!」

 カウンター越しに見えるキッチンの方からも威勢のよい声が聞こえてくる。
 誰かに見られているわけではないのに少し、恥ずかしい気持ちになった。

「こちらになります。ご注文は、そちらのタブレットの方からお願いします。おしぼりとお箸はこちらにおきますね。ごゆっくりどうぞ!」

 案内してくれたスタッフは丁寧にお辞儀すると立ち去っていった。瑞季は、奥の座席に、幼馴染の岡田 淳《おかだあつし》は手前に座った。スマホをテーブルに置く際に、きらりと光る左手薬指の小さなダイヤモンド指輪が気になった。知っているはずのに。いつも見ているのに今日はやけに目についた。瑞季は持っていた鞄を隣の席に置いて、邪魔な左頬の髪をかき上げた。左手に着いていた銀色の時計を付け直した。


「それで、何を注文するの?」
「とりあえず、ビールでいい?」
「サラリーマンの定番だね」
「良いじゃん。お通しもつくっしょ。あと、さっき言ってたチャンジャと……なんだっけ」

「これでしょう。モツ煮こみ」

 瑞季は、淳の代わりにタブレットをタップした。個数の1を選ぶ。

「瑞季も食べるなら、もう1つ頼んだら?」
「私はいいよ……。ちょっとさっき食べちゃったからんー、たこわさびにしようかな。少なめにね」
「俺、腹減ってるからさ、焼き鳥も追加していい? これ、焼き鳥ミックス」
「いいよ。少しなら食べられるから」

 聞き慣れた声。意思疎通が通じ合う。気の知れた幼馴染。昔からずっと付き合いがある。そう、淳が結婚してからも時々、こうやって呼び出される。お酒の飲み相手。奥さんは一切、お酒を飲むことができないらしい。奥さんの目の前でタバコを吸ったことも
 ない。本当はかなりのヘビースモーカー。どうして、我慢するような関係で結婚するのが瑞季には意味がわからない。

「お待たせしました。ビールとお通しです。ご注文いただきました。おつまみもこちらに置きますね。たこわさびと焼き鳥ミックスです」
「あ、ありがとうございます」

 瑞季は、スタッフに声をかける。淳はぺこっと頭を下げた。
 
「んじゃ、週末、お疲れさまってことで乾杯ね」
「乾杯」

 細長いビールグラスをきれいな音で打ち鳴らす。

「くぅー。うまい。瑞季、仕事は順調なんでしょう?」
「うん。美味しいわ。まぁまぁね。そっちこそ、仕事よりも家庭はどうなのよ」
「……ん? まぁ、いいでしょう。その話。お互い健康ならいいね。バッチリOKじゃん」
「何が、バッチリOKよ。バツイチ子持ちで、しかも結婚2回目のくせに。前の奥さんも、大変だけど今回の奥さんもご愁傷様だわ」

 瑞季の言葉が矢のように淳の体に突き刺さる。仕事は順調に課長クラスにまで昇格しても、家庭はなんとも、うまくいかないようだ。20歳でできちゃった結婚して子どもも2人になったが、夫婦の性格の不一致で離婚になり、全部奥さん側に子どもの親権は奪われた。親権を渡す代わりに関わることは一切できないことお金を請求はしないという条件だった。家族に思い入れはなかったのかもしれない。2回目の結婚は突然の出会いでお互いのフィーリングがあったんだと式はあげずに婚姻届で済ませている。結婚式の参列者に離婚したら許さないぞと釘をさされてあっさり離婚したことを申し訳なく思ったためだ。

 でも、この結婚は子供ができたわけじゃなく、怪しい宗教が絡んでいて、切っても切れない縁ではないかと瑞季は思っていた。本人は気づいていない。

「俺もね、まさか、2回目すぐに結婚するとは思ってなかったんだよ。でも、課長クラスになると独身でいることより社員のことを
 わかってあげられるというポジションにいるからさ。まぁ、それは言い訳なんだけどさ」

「いいじゃないの? 相手がすぐ見つかって。私なんて、同い年ですけど未だ独身なんでね」
「そう、僻むなって。だからこうやって、俺が相手してやってるじゃんよ。必ずしも結婚しなくちゃいけないことはないと思うんだよ、俺は。よく言うじゃん。結婚は人生の墓場だとかって。独身のままでいいって思うことも時々あるんだよね。瑞季がうらやましいよ」

 お通しの肉じゃがをチビチビつまむ。瑞季はたこわさびを箸ですくって、すぐにビールを飲んだ。

「都合いいよね。そう言いながら、独身だからって理由で私に会ってるくせに」
「あー、まぁ。そうだけど。瑞季が結婚したら、もう会わないよ。夫になる人と同じ土俵には上がりたくないから。そもそも戦わないし。……てか、今日もこの後、いい?」
「ふーん、どーせ、そうなんだろうなっては思ってたけどさ。これでも計算できますから」
「そうですね。瑞季は理数系がお得意でしたもんね。ほら、麦焼酎は頼まなくていいの?どんどん飲もうよ。頼んでおくよ」
 
 淳は、タブレットをタップして、瑞季がよく飲む麦焼酎を返事を待たずに注文した。淳はハイボールを注文する。

「はぁ、淳は自由でいいね」

「そんなこと言って、俺と会うの嫌じゃないくせに〜。嫌だったら、電話にも出ないもんね」

 そう知ってる。私はずるい。生活感の見えない男性2人との関係性がやめられない。彼氏でもない。友達止まりでもない。友達以上恋人未満でもない。会いたいときにあって、都合の良いように付き合う。こうやって、好きなお酒やつまみを一緒に食べて、会社の愚痴や家庭での出来事を言い合ってる。むしろ、私は聞き役になっている。飲み仲間でもあるが、体のつながりでもある。相手にしてくれない奥様の代わり。風俗ではない。お金はもらってない。信頼関係あってこそだ。嫌だと拒否することも可能だが、拒否する理由が見つからない。欲求は満たされるから。罪悪感はないというのは嘘だ。訴えられたら、負けるのはわかってる。しっかり相手をしない妻が悪いと責めてもそれでもこちらは不利なのだ。不貞行為というやつだ。なるべく証拠は残さないようにしている。ピルを飲んで、避妊はしてるし後腐れないように感情は押し殺している。好きの感情を作ってしまったら、離婚されてしまうことを恐れた。こんなことしてるからいつまで経っても結婚できないんだ。でも、この時間の使い方が好きだ。無駄がない。相手の都合に合わせた会い方だから生活感も見えないし、親戚の絡みもない。良いとこどりしている。独身の恋人のような感覚の短い刹那な時間。一瞬に集中してる。男1人の世話が大変なのは知ってる。瑞季は男性を育ててはない。男性をよくしようということを考えていないのだ。甘い蜜を吸ってしまっては抜け出せない気がしてやめられない。中毒性のある関係だ。


 それでも、心の奥底では安定のある結婚を手に入れて子どもを育ててみたいと小さな望みはかろうじてあった。女であるからには子どもを産み育てたいというのは自然の流れなんだろうと思う。また、ここに来ている自分。ホテルの天井が幾何学模様でベージュ色であることを研究者のようにベッドから上を見る。淳は必死でむさぼるジャーキーに絡みつくように瑞季の体を舐め回す。

 どれだけ、妻との関わりを避けてきてるんだろう。ここでマウントを取る女性なら自分のことを見てくれていると
 優越感に浸るんだろう。瑞季はさらさらそんなこと思ってない。

 達観するかのように犬の飼い主をしっかりと見ておきなよと言わんばかりの思考でどうして私がこんなことしてるんだろうと遠い目をしながら気持ち良いふりをして喘ぐ。一応は受け入れて相手してあげている。可哀想な男なんだ。この人は。
幼馴染である瑞季はずっと昔から淳を見ている。幼少期からそうだった。
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