ひとり焼肉が好きなひと。
ひとり焼肉 シャトーブリアン8枚目
会社から徒歩10分、歩いた。やっと、ひとり焼肉を満喫できると『極み』のお店に向かった。元気な店員の声に嬉しかった。
「いらっしゃいませ。お客様ご来店です」
パーテーション越しに区切られた個人の空間。
プライバシーは守られる。七輪の火をつけてもらう。
「ご注文はそちらのタブレットからお願いします」
いつも来ているから注文の仕方は慣れていた。お気に入りの焼肉のタレといつものネギ塩にんにくしょうゆだれの牛タンを5皿頼む。なんて贅沢なんだ。息子の誕生日祝いしている部長なんて、頭に無い。自分の毎日お疲れ様お祝いの方が何倍も大切だ。
「あれ、お客様。常連さんですね。ヒラヤマピンクの岩塩お使いになりますか?」
「はい。ぜひ、お願いします!」
ちょうど、目の前に通りかかった店長に声をかけられ、常連限定の岩塩でA5牛カルビを食す。頬が落ちそうだった。
生たまごに絡んで食べても美味しいし、白米に着いたこの焼肉タレもすごく美味しい。
すると、横にいた男性がくすくすと笑っている。
「美味しそうに食べますね」
初対面だと思う。グレーのスーツに青い柄のネクタイをつけた会社員風の男性に声をかけられた。
「あ、はい。そうですね。美味しいですから」
瑞季はニコニコして答える。メガネを外して、テーブルに置き、左手をパタパタと振る。
よく見ると手の甲に絆創膏がしてあった。3日前に会った、ひったくり犯人を捕まえたあの男性だった。
「あー、あの時の。メガネしていたのでわかりませんでした。その節は本当にありがとうございました。その手はまだ痛みますか?」
目の前で絆創膏を外した。
「もう平気ですよ。もったいなくて、貼ってました。」
「もったいないって。皮膚、かぶれますよ?」
「もう、大丈夫。かぶれずに治りました。お1人で召し上がるんですね」
「そうですね。気兼ねなく食べられるので、気に入ってるんです」
「わかります。僕も自由に好きなように食べるのがここ良くて。そして、この岩塩!美味しいんですよね。この間も来てましたよね。岩塩が常連限定の話をしているのを聞いちゃいました」
「そしたら、3日前が初めてでは無いのですね。その前に会ってたなんて気づきませんでした。そう、岩塩、私好きです。淡いピンクで、おしゃれだし。運気あがりそう」
「そうですよね。名前、紹介してなかったですね。瀬戸 碧斗と言います。名前教えてもらえますか?」
「え、えっと沢村 瑞季と言います。何か、名乗るほどじゃ無いって言ってお別れしたのに、まさかまた会うなんて思わなかったです」
瑞季は何回も会うなんて運命なんじゃないかと感じた。何のしがらみのない繋がり。お互いに好きなもので出会った。
会社の上司でもなく、地元の腐れ縁でもない。シンプルに真っ新な形で出会った人は
これまでいなかった。顔やスタイルも好みのストライクゾーンに入っている。瑞季はこの人なら好きって感情出しても良いのかなと思えた。でも尻軽女なんて思われたく無い。本命なら尚更焦らして行こうかと考えた。
「沢村さんは、1人は好きですか?」
グラスに大きな氷を入れたお酒を飲みながら瀬戸は話す。
「そうですね。1人焼肉、1人カラオケ、1人ラーメン。なんでもいけますよ。瀬戸さんはどうですか?」
「僕も1人は平気です。友達いないワケではないですが、1人で食べたいときってあるんですよね」
「同感! 私もそうなんです。一緒に食べに行ける人はもちろんいるんですけど、あえての1人で行きたい時あるんですよね。そして、人が混むお店を選ぶんです。なんか、珍しいって周りから言われるんですけど、意見が合う人に会ったのは初めてです。……なんか嬉しい」
本日、2杯目の梅酒のロックを飲みながら、テンションがあがる瑞季。頬が赤らんできた。瀬戸もニコニコと笑顔でお酒を飲む。
「僕もいなかったですね。気が合う人。きっと、都会の中の1人が好きなんですよね。誰もいない店の1人は嫌で……。本当は寂しがり屋なのかもしれません。関わるのが怖いだけで、それを隠してるんですが」
本音を言ったみたいで、瀬戸はケタケタと笑った。そこまで言わなくてもいいはずなのにポロポロと話し出す。こんなに打ち解けた人はいなかった。
「私も同じ感じ。集団の中の1人で、でも関わるのはちょっと……。知らない大勢の人の中にいる自分に
浸ってる感じあります。そんな自分が好き的な、ナルシストかな」
瑞季も思わず、言わなくても良いことを言ってくすっと笑う。酔っているからか、おしゃべりだった。お互いに指さして納得する。今日はすごく良いお酒を飲めた気がする。いつの間にか焼肉屋の閉店時間まで居座ってしまった。話すのが心地よくなって、テーブルに顔をつけて瑞季は寝てしまっていた。
「寝ちゃいましたね。もう閉店時間なんですけど……。お客様?」
店長の長谷川は、瑞季の耳元に声をかける。その仕草に黙って、手を出して、やめなと静止するのは一緒にいた瀬戸だった。
小さな声で
「僕が何とかしますから」
「あ、すいません。お知り合いでしたか?」
「はい、まぁ、一応。任せてください」
「よろしくお願いします」
のれんを外しながら、長谷川は2人を見送った。瀬戸は瑞季を背中に背負い、ゆっくり寝かせてあげた。