だから、好きとは言わない

10 だから、言うね

 仕事を終えると、望くんとの待ち合わせ場所に指定したフレーバフルへと急いだ。

 カランっと低くて優しいベルの音を鳴らして扉を開けると、店内を見渡す。
 まだ望くんの姿はない様子で、「お好きな席へどうぞ」と店員さんの声に、あたしは窓越しの席を選んで座った。
 すっかり暗くなった外は煌びやかな街灯に道ゆく人が多く行き交う。
 気持ちを落ち着かせるために、甘いものをとあたしはキャラメルカフェラテを注文して、スマホに目を落とした。

 しばらくしてから、カランっと入り口のドアのベルが鳴る。
 望くんが来たのか確認しようと顔を上げた瞬間、あたしの胸がドクンっと波打つ。

 店員さんと話しているのは望くんで、こちらに視線を向けた目が合った。ニコッと微笑む笑顔はいつもの望くん。
 だけど、ゆっくり進んでくるその後ろには、見覚えのある女の子の姿。

「実智ちゃん、お待たせ」

 手を軽く上げて、少し戸惑いながらも笑顔の望くんに、あたしはどんな表情をしてしまっているのか、自分の顔を確かめたいと思った。

「えっと……お疲れ様、こっちは俺の会社の同期で」

 気まずそうに後ろから付いてきた女の子を紹介してくれるから、あたしはその子へと視線を向けた。

「お疲れ様です。望くんと同期の倉橋(くらはし)(すず)です」

 丁寧なお辞儀と一緒に、真っ直ぐな黒髪が流れた。
 あたしの頭の中は、なんで?の三文字しか浮かばない。

「ごめん、ちょっと話があるって連れて来ちゃったんだけど……」
「……と、とりあえず座りなよ」

 立ちっぱなしでいる二人に、四人がけのテーブルの向かい側へと座ってもらう。
 この状況って、なんだろう。
 なんだか、不安しか感じないんだけど、あたし、大丈夫かな。

 一気に血の気が引いてしまった様に指先が冷たくなった。先に頼んでいたキャラメルカフェラテのカップをそっと包み込んで、暖かさに気持ちを落ち着かせる。
 やっぱり、あたしが望くんの気持ちにちゃんと向き合わないで意地を張っていたから、望くんは同期の倉橋さんを選んでしまったってことなのかな。

 二人を仲良くさせたのは紛れもなくあたしだ。デートも、楽しかったんだろうな。
 こんなに美人で若い子なら、付き合わない選択肢なんてないもんね。

 どんどん気持ちが落ち込んでしまう。
 思わず出そうになるため息をなんとかキャラメルカフェラテと一緒に飲み込んだ。

「あの……」

 二人も飲み物を注文してから、しばし続いてしまった沈黙を破ったのは倉橋さんだった。
 視線を泳がせて、何度も望くんをチラチラと見てはあたしにも向けられる目線は、すぐに逸らされてしまう。
 なんとなく、何を言いたいのか見当がつく様な気がしてならない。

 横に居る望くんも、倉橋さんを落ち着かせるように優しい目線を送ってあげているような気がしてならないし、ますます不安が募る。

 これって、二人が付き合い始めましたって報告で間違いないよね? この状況って、それ以外に考えられない。
 そしたら、不安そうな倉橋さんには、やっぱりおめでとうって笑って言ってあげないと。

 あー……あれ。でも、それじゃああの時と同じだ。

ーーえ、そうなんだ! おめでとうっ。お幸せにねーー

 凌へと向けた言葉に、あたしは半分嘘をついていた。心からの祝福なんかじゃなかった。なんで? って、疑問が浮かんだ。だけど、あたしはそのなんで? が、あの時はわからなかった。
 だけど、凌への気持ちが薄れていたことに間違いはなかった。だから、凌のことを引き止めもせずに、相手の子の事を責めたりもせずに、ただ、おめでとうと笑うしかなかった。

 だけど、今回は違う。
 あたしは、望くんのことが好きだ。

 例え、望くんが倉橋さんのことを選んだとしても、この気持ちだけはしっかり伝えておかないと、また後悔してしまう。
 膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめて決心すると、望くんと倉橋さんへと視線を上げた。

「実智さんって、冴島さんとはどう言う関係なんですか!」

 あたしが声を発するよりも早く、倉橋さんが言い放った。

……は?

 意を決したはずのあたしの気持ちは、見事にまた引っ込んでいく。

 真っ赤な顔をして俯いてしまう倉橋さんを見て、あたしは頭の中が真っ白になる。
 隣の望くんを見てみれば、困った様な顔であたしに笑いかける。

 え? どう言うこと?

 混乱するあたしに構わずに、倉橋さんは切長でくっきりした二重の瞳をキッとあたしに向ける。

「実智さんが冴島さんと仲がいいのはよく知っています。冴島さんからも望くんからも色々聞き出したので。だけど、実際のところが良く分からないからあたし、この際本人に直撃するしかないって、今日望くんに無理言って連れてきてもらったんです!」

 目の前で両手を握りしめて、興奮気味に喋り出した倉橋さんの綺麗な顔が歪んでしまっている。あの時見たクールビューティーな印象は今やもうない。

 と、言うか、あたしがあの時睨まれたのって、望くんと話していたからじゃなくて、もしかして寛人との仲を疑われていたからだったの? この子も勘違いしている。
「倉橋さ、入社式の時の冴島さんのスピーチに感動して一目惚れしたんだって。しかもこいつ人懐こいって言うか、馴れ馴れしいっつーか、冴島さんのプライベートも根掘り葉掘り聞き出そうとして話しかけたらしく、そこで実智ちゃんの存在を知ったらしい」

 深いため息を吐き出したかと思うと、片頬杖してあたしに視線が向く。

「この前会った時も冴島さんと実智ちゃんのことばっか聞いてくるし、俺は俺で悩んでるっつーのに。今日だってせっかく実智ちゃんが誘ってくれたのに付いてくるってしつこいし」

 さっきまでにこやかにしていた望くんは、ようやく本心を現したように嫌悪感ある顔で倉橋さんのことを見ている。

「好きな人のためならなんだってするのよ、あたしは!」

 やっぱりクールビューティーなど欠片もなくなった倉橋さんに、あたしはつい笑ってしまった。

「……え? なんで笑うんですか?」

 睨むような怪訝な顔を向けられて、あたしは安堵する胸中を探られないように微笑む。美人に睨まれるのは迫力がある。

「あたしも寛人が好きだよ」
「「え?!」」

 二人とも目を見開いてこちらを見るから、あたしは苦笑いで手を顔の前で振った。

「倉橋さんの言う好きとは違うよ。優しいし頼れるし、気が利くし、寛人って欠点が何もない。一緒にいて楽だし、なんでも話せる最高の友達」
「……惚気られてるようにしか聞こえませんが」

 あたしの言葉に、倉橋さんが腕組みをして眉を顰めた。

「うーん……まぁ、でも惚気みたいなものなのかも。倉橋さんは、寛人のどこが好きになったの?」
「え?!」

 あたしの質問に、先程までの鋭い眼光は和らいで、一瞬にして倉橋さんの表情は乙女の顔に変わる。

「すらっとした長身で、あたしと並んでもバランス取れるし、優しくて柔らかな笑顔が可愛くて、だけど間違っている時は厳しく叱ってくれて、あの包容力がヤバいんです。そして、望くんみたいな着せられた感のない細身の高級スーツ姿! で、脱いだらめちゃくちゃ筋肉質だと思っちゃう胸板……あ、これはあたしの勝手な妄想ですがっ♡ 顔はもちろんだけど、特にスマホ越しの声がもうとろけるほど大好きですっ!」

 頬を包むようにキャッと両手を当てて、顔を赤くする倉橋さんに、あたしは唖然とするしかない。
 めちゃめちゃ寛人のこと好きじゃん。
 顔を染めながら恥ずかしそうに寛人を思いながら話をする倉橋さんの表情はもう本物だなって感じた。そして、なによりも。
 ーースマホ越しの声!ーー
 あたしと一緒!悪い子じゃない。
 確信を得たあたしは大きく頷いた。

「うん、うん、寛人めちゃくちゃ筋肉質なの! 脱いだらすごい当たってるよ! しかも声! めっちゃ良いよね! 分かるー! 対面じゃないのよね! スマホ越しだから良いのよね!」
「え!! 分かります?!」
「うん、分かる分かる!」

 真剣に向けたあたしの眼差しに、倉橋さんの瞳の輝きが増す。

「あたし、伝言は直接じゃなくて冴島さんのデスクの電話にかけるんですーっ、もう用事なくてもかけちゃいますっ」
「あー、分かる! あたしも同じ職場だったら絶対やる!」
「ですよね!! え? ってか、実智さんあたしのこと冴島さんに推してくださいよ!」
「うん! いいよ! 言っておく」

 ほぼノリ。
 寛人の声が好きだと語り合える同志がいてつい盛り上がり過ぎてしまった。
 だけどこの子、第一印象とはなんか、全然イメージが違うんだけど。
 「連絡先交換してください」と言われて、すぐに交換。クールビューティーは二十三歳の純粋無垢な乙女へと変貌を遂げた。あんなに大人っぽくてカッコいいと思っていた倉橋さんが、もうなんか、可愛くしか見えない。

「キャー! 実智さん最高っ! 絶対応援してくださいね! あ、望くんごめんね。お邪魔しちゃって。じゃああたしはお先しますっ」

 用事が済んだと、テーブルにお金を置こうと財布を鞄から取り出す倉橋さんを制止する。丁寧にお辞儀をして去って行く倉橋さんに、にこやかに手を振り見送った。

 視線を望くんへと戻すと、明らかに不貞腐れている。顔は窓の外へと向いて頬杖を付いたまま。

「……望くん」

 あたしの呼びかけに、ぴくりと耳が揺れた。

「話って、何?」

 手を下ろして、真っ直ぐに姿勢を正した望くんの真剣な瞳に、胸が締め付けられる。

「倉橋とはいきなり仲良くなってるし、冴島さんのこと、あいつに推しても良いの?」

 顰めた眉。だけど、逸れることなくあたしを捉える瞳からは逃げられない。
 逃げちゃダメだ。
 あたしは、望くんに想いを伝えるために今日ここへ来たんだから。

「あの、ね、望くん……」

 思わず空になったキャラメルカフェラテのカップへと視線を逸らしてしまった。
 だけど、もう一度望くんのことを真っ直ぐに捉えてから、小さく息を吸い込んだ。

「あたし、望くんのことが好きです」

 店内に穏やかに流れるピアノクラシック。コーヒーと甘いケーキの香りが鼻に抜けて、驚くように目がまんまるくなっていく望くん。

 あたしは、素直に言えた嬉しさで心の底から笑顔がこぼれてしまった。

「なにそれ……めちゃくちゃ嬉しい」

 くしゃりと髪を持ち上げた望くんは、顔を伏せる。
 伝えたかった想いを伝えられて、軽くなった胸に手を当てる。あたしが深呼吸をしていると、望くんが目の前に置かれていたアイスティーのストローに吸い付いた。

「……それって、さ」

 一気に半分アイスティーが減って、顔を上げた望くんはあたしの目を捉える。

「俺、実智ちゃんと一緒にいても良いってことだよね?」

 不安そうに聞く望くんに、あたしは頷く。

「また、実智ちゃんと暮らしたり、実智ちゃんに触れても良いって、ことだよね?」

 不安な顔でますます眉を下げる顔に、あたしは微笑んで頷いた。
 その瞬間、ピンっと、わんこの耳が髪の毛の中から現れたような気がした。
 そして、アイスティーのグラスに触れていた手を離して、望くんが立ち上がった。

「……望くん?」
「行こう!」
「……え?」

 見上げた望くんの顔は満面の笑顔。

「俺、払ってくる」

 伝票を持ってお会計へ向かってしまった望くんを、荷物を手に持って慌てて追いかけた。

 外へ出ると、当たり前のように手を繋がれるから、なんだか、望くんの手がウズウズしているような、くすぐったい感覚。

「俺、今日は実智ちゃんち泊まるね」
「え……」

 ニコニコの笑顔でこちらを見つめる望くん。

「だって、布団まだ実智ちゃんちにあるし、あ、明日の準備だけしに一回冴島さんとこ行こうかな。てか、ついでに俺らのこと報告してこようか」

 饒舌になっている望くんに圧倒される。

 いや、報告とかはあえてしなくてもたぶん、大丈夫。と、言うか、そんなことしたら寛人に申し訳ない。

「あ、あたしはうちで待ってるから大丈夫。寛人には、後で報告しとくから」

 寛人はこうなるって、きっと分かっている。
 どうしよう。望くんに気持ちを伝えたことはスッキリしたけど、寛人のことを思うと胸が痛い。

「……さっきさぁ」

 あたしが考え事をしていると、望くんが顔を覗き込んでくる。
「冴島さんが脱いだら凄いって話してたけど、体の関係とか……あったりしたの?」
「は!?」

 不安げに眉を下げて聞いてくる望くんに、あたしは大きく首を横に振る。

「ないっ! 絶対にない」

 あの時はたまたま寛人の肉体美に遭遇してしまっただけで、そんな関係があるわけがない。
 むしろ、そうなっていたのは望くんとだ。
 だから、尚更に、きちんとあたしは気持ちを決断しなければいけなかったんだ。

 流されてしまうなんて、大人として良くないし。望くんの気持ちだってきちんと考えてあげなくちゃいけないって、そう思ったから。
 なのに。

「だって、冴島さん、実智ちゃんに付けた俺のキスマも見つけてるし、帰ってきた実智ちゃん、明らかに冴島さんから受け取ってきたパンツ俺に見せて慌ててるし、あの日絶対にヤったよね? 俺、これ二回目だよ? 他の男に実智ちゃん抱かれるのほんと、耐えらんないんだよ……」
「……い、いや」

 誤解だ。
 前回はそうだったかもしれないけれど、今回は全て望くんの単なる誤解。

 ってか、あの時パンツだってバレてたの!?
 それ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。

「もっかい、俺のだって上書きしたい……もぅ、今すぐ、シたい」

 信号待ち、横断歩道からすこし離れた場所で、望くんがあたしを抱き寄せた。耳元に囁くように唇が触れる。

「ちょ……」

 全身が一気に熱くなって、あたしは望くんから離れようとするけど、それは敵わなかった。
 強く抱きしめられて、強引に顎を上げられると、唇が重なる。
 周りが気になって仕方のないあたしとは違って、望くんは周りなんか見えていない。

「ばーっか! そう言うのは帰ってからやれ!」

 突然、降り注いできた言葉に、あたしは驚いて一瞬緩んだ望くんの腕から抜け出した。
「ひ、寛人っ!?」

 高そうなスーツにトレンチコート。仕事帰りの格好で立っている寛人。
 望くんも我に返ったのか、目を見開いて何も言えずにいる。

「ちゃんと、言えたの? 実智」

 優しく微笑まれて、それにあたしは安心して頷いた。

「俺を選べばこーんな公衆の面前でキスなんかしないのに。しかもさ、ここ、会社の真ん前だよ? 分かっててやったの? イラつく」
「……寛人?」

 大人な対応をしていたかと思えば、普段は言わないだろう心の中の感情を剥き出しにした寛人に、驚く。

「あー、冴島さんでもやっぱり嫉妬するんじゃないですか」

 ふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる望くん。あたしは一触即発しそうな二人を、交互に見ているだけしか出来ない。

「するよ、そりゃ。俺実智のこと好きだし大親友だし、大事な人なんだから。だからさ、頼むから見えないとこでしてくんない? そう言うことは」

 ため息を吐き出して苦笑いの寛人。折れたのはやはり大人な寛人だ。

「今夜はそっち泊まるんだろ? じゃあな」

 そう言って、背中越しに手を振り行ってしまった。

「……寛人」

 後ろ姿に哀愁が漂いすぎていて、あたしは追いかけたい衝動をグッと堪えていた。
 追いかけたところで、あたしには寛人の辛さを救ってはあげられない。そう思うと、なんだか切なくなる。

 ふわっと温もりに包まれたあたしは、望くんに後ろから抱きしめられていた。

「の、望くん?」

 今、寛人に怒られたばっかりなのに。

「ダメ。俺は、冴島さんみたいな大人じゃない、余裕も全然ない。実智ちゃんにはいつだって触れていたい、そばにいたい。こんな俺でも、本当にいいの?」

 仕方ない。そんな望くんだから、好きって言いたくなってしまうんだよ。

 素直な望くんと違って、あたしは好きが心の中で溢れていても、なかなか言葉には出来ないけれど、二人きりなら、たぶん素直になれそうな気がする。


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