だから、好きとは言わない

1 再会、溺れる夜

 時刻は二十時半。
 ようやく仕事を終えると、急いで帰りの支度をしてスマホを開いた。

》まだ終わらない? 待ってるから早くおいでねー

 友香(ともか)からのメッセージに、尚更急いで職場を後にする。すっかり散って青々とした葉に変わってしまった桜並木の下を急ぎ足で歩く。電車に揺られて目的地の和洋居酒屋に着くと、お店のドアを開ける前に一度スマホで顔を確認した。
 あー、目が充血している。パソコン見過ぎた。肌も下がってるなぁ。最悪……だけど、仕方ない。もう若くもないし、会うのは気の知れた友達だ。諦めて暖簾をくぐった。

「あ! 実智(みち)ーっ、こっちだよー」
「ごめん友香。仕事全然片付かなくて」
「お疲れさまぁ、もうあたしだいぶ飲んじゃった」
「だよね」

 いつもそう。
 飲みに行こうと誘われれば喜んでいく。だけど、待ち合わせの時刻通りにそこにいたことは一度もない。家に帰ってひとりぼっちがたまに寂しかったりするから、仕事がどんなに長引こうがあたしは誘いに乗る。

「お疲れ様です。何飲みます?」

 ため息をついて空いていた席に座ると、メニュー表が目の前に現れた。
 驚いて差し出された手を辿ると、知らない綺麗な顔立ちをしている男の人。優しく笑顔を向けてくれる。

「俺もまだ頼んでないから、一緒に頼も?」
「……あ、は、はい」

 え、誰⁉
 肌の透明感がすごい! まつ毛長い! 綺麗な形のいい唇! 
 近い距離に目が泳いでしまって、恥ずかしさがバレないように、見ているフリをしながらメニュー表で顔を隠した。

「そんなん見なくたって、実智はとりあえずビールだろ?」
「は⁉」
「え? 違うの?」
「……違くない……です」
「え、なに、なんで敬語?」

 友香の隣に座るいつもの飲み仲間で親友の寛人(ひろと)に笑われてしまうけれど、初対面のこんなイケメンが横にいるって言うのに、決まったようにビールとか、絶対に酒飲みだと思われてしまう。
 いや、それは事実だから仕方がないのかもしれないけれど。
 でも、カッコいい人には可愛い女だとその場限りでもいいから思われたいじゃんっ。

「お待たせしましたー」の声と共に、あたしの目の前にビールのジョッキが二つ並べられた。

 ん? いくらなんでもあたし最初から二杯は……。まぁでもいっか、こっちはとりあえずキープしとこ。
 一個目のジョッキを手に取り、もう一つを邪魔にならないように自分の方へと寄せた。

「ふはっ! それ、俺のですから」
「……え……」

 隣から笑い声が聞こえたかと思うと、腕が伸びてくる。

「今、どっちも飲もうとしたでしょ? おもろい」

 無邪気な子供みたいに笑う彼の笑顔にあたしの胸がきゅんと締め付けられると同時に、恥ずかしさが込み上げてくる。

「あ、ご、ごめんなさいっ! いや、二つ飲もうとは……さすがに……」

 思ってはいたけれど。

「ですよね。んじゃ、乾杯っ」

 ジョッキを掲げると、あたしのジョッキにコンッと優しく当てる。
 美味しそうに喉を鳴らして飲み始めた横顔が綺麗すぎて、見惚れてしまう。

「うっ、はーっ、やっぱり仕事終わりの一杯が美味いっ!」
(のぞむ)飲めるんじゃん! 何? 実智のこと待ってて飲まなかったのかよ」
「そうですよ。ほんと、マジ美味いです」

 (のぞむ)って言うんだ、この人。
 寛人(ひろと)が親しげに話しているけれど、いったいなに繋がりなんだろう?

「望くんね、実智に会うの楽しみにしてたんだって」
「……え?」
「寛人の会社に今年入った新人くんでね、今日実智のこと誘ってほしいって望くんに頼まれたらしいよ? 知り合いにこんな可愛い子いるなんて聞いてないしー」

 は? なにそれ?
 その前に、あたしは完全に〝はじめまして〟なんだけど。え? あたしのこと、知ってる?

「また会えて嬉しいよ。実智ちゃんっ」

 困惑していると、望くんがニコッと微笑んだ。なんだその笑顔、天使か!?
 隣で終始ご機嫌な望くんの事が、やっぱり思い出せないでいた。
 お店を出てからも、当たり前の様に望くんはあたしの横にずっといる。

「じゃあ実智またねっ!」
「え、あ、うん。また」

 友香は寛人と二人で煌めく繁華街へと消えて行った。

 あれ? これって、二人きりじゃない?

「……じゃ、じゃあ、あたしも……」

 頭を下げて歩き出そうとしたら、腕を掴まれた。

「送ってく」
「……え」
「と、言うか、送らせてください」

 ペコンっと頭を下げたかと思うと、不安気に顔を覗き見てくるから、そんな望くんの潤んだ瞳が可愛くて頷くしかない。

「やった。行こうっ」

 ニパッと笑顔になって手を繋がれる。
 第一印象よりもだいぶ可愛くて幼く見えるんだけど……酔っているから?

「あ、あの……望くんって、何歳なの?」

 あたしよりもずっとずっと年下な気がしてきた。

「……それって、言わないとダメ?」
「え……あー、別に、言いたくないなら」

 女の人に年齢聞くのがアウトなように、男の人にも迂闊に聞いてはいけなかったのかも。

「……二十三」

 ぽつり。呟くように言われて、あたしは耳を疑った。思わず繋がれていた手を離してしまう。

「え!? に、に、二十三!?」
「……うん」

 思ったよりもずっとずっと若かった……。

「あー、ごめん。若いとは思ったけど、ほんと若いね」

 あたしからじゃないけれど、手とか繋いじゃってごめん。心の中でとりあえず謝っとく。

「ねぇ、実智ちゃん。俺と付き合って」
「……は?」

 え? 今なんて言った?
 聞き違いだよね? なんの冗談。

 望くんの緩んだ笑顔に思わず笑えてきてしまっていると、その顔が近づく。

 あー、あたし、反射神経鈍ってる。
 そう思った時にはもう遅くて、望くんの唇があたしの唇に吸い寄せられるようにくっ付いた。
 避けれたはずなのになぁ。
 キスなんていつぶりにしたんだろ。望くんの唇柔らか。

「オッケーってことでいいの?」
「え、」

 いや、キスは受け入れちゃったけど、それはちょっと無理だ。
 もう一度近づいてきた望くんの口元を両掌で塞ぐ。

「ごめん。付き合えない」
「なんで?」

 え? いや、こっちがなんで? だよ。

「……あたし……三十過ぎてるし」
「うん、知ってる」
「あ、そう……って、え!? 知ってたの?」
「うん、知ってるよ。ちなみに過ぎてるって言っても、三十になったのは先月でしょ? 先月までは同じ二十代だったんだし。気にしないよ?」

 いや、あたしが気にする。
 って言うか、なぜあたしの誕生日が先月だと知っている?
 そっちの方が気になるんだけど。

「ぶはっ! 色々考えすぎだよ! 表情コロコロ変わって可愛いんだけど」

 だからさ、天使なの? 君は。笑顔の君の方がよっぽど可愛わよ。
 簡単に言わないでほしい、可愛いとか。
 たまらずため息を吐き出してしまう。

「……今、彼氏いないんでしょ?」
「いないけど……」

 彼氏云々の前にだ。

「歳の差気にしてる?」

 うん。そこ、大事じゃない?

「やっと……大人になれたのになぁ」

 悲しそうに眉を下げて、拗ねてる様な望くんが可愛い。

「もっかい、していい?」
「は? なにを……」

 まただ。避けれたはずなのに。
 受け入れちゃってる。
 さっきよりも深く、長いキス。
 望くんの腕があたしの腰へ絡む。
 ほんのりアルコールの味がして、離れていく唇が惜しくなる。

「実智ちゃんち、行ってもいい?」

 にこっと、でも、余裕のないようなその笑顔にどうなるかなんて分かっているのに、望くんを家まで連れてきてしまった。

 あー、なにやってんだあたし。
 ちょっと気のあるふりされて、可愛いとか言われて嬉しくなっちゃってる。

 玄関先で望くんがすぐにあたしを抱きしめてきた。勢いでシャツのボタンを外し始めるから、なんとか宥めて今シャワーをあびてもらっている。

 シャワーで酔い覚ましてくれないかな。
 なんでこんなとこ来てしまったんだって、現実を受け止めて帰ってくれたら、それでいいんだけどな。

 静かすぎる部屋に耐えられなくなって、音楽をかけた。
 初めて付き合った人の好きだった曲。あの頃は良かったな。好きだと言われて嬉しくて、こんな煩いロックな曲も彼に合わせようと必死に覚えて。気が付いたら、好きなバンドになっていた。
 あたしの恋愛とは真逆にこのバンドは右肩上がりに売れていった。
 遊び人だった初カレとは、すぐに破局した。

 問題はその後に付き合った彼だ。
 未練なんてないって自分で思っていても、やっぱりまだたまに思い出してしまう。付き合った年月も長かったから、余計にタチが悪い。
 もう、彼と別れてからどのくらい経つんだっけ?

「実智ちゃーんっ、俺のいる空間で他の男のこと考えないでくんない?」
「……!? ちょ、ちゃんと拭いてきてよ!」

 髪の毛から滴る水滴をかきあげて、あたしを怒るように見ている望くんに驚いた。

「あれ消して」

 怒っているような声と顰めた眉。

「ん? 音楽のこと?」
「そう、消すか違うアーティストにして」

 言われるままに、あたしは別のアーティストの曲に変えた。
 まぁ、あたしもさっきの曲は色々思い出してイラつくから、変えるのは全然良いんだけど。
 なんでそんなに怒っているんだ?

 初対面で大人っぽくて、真面目な印象を受けたと思ったら、無邪気な笑顔に幼さを感じた。キスをする顔は色気があって、家に連れ込めば怒られる。
 なんだかやばい人じゃないよね? やっぱり帰ってもらおう。って、無理かもしれないけど、その時はその時で受け入れるとして、とりあえず帰ってもらえるか聞こう。

「ごめん、望くん。やっぱり望くんとは付き合えないし、うちにあげちゃったり、シャワー貸したりして、その気になっちゃってるかもだけど、あたしよりも若くて可愛い子の方が断然いいと思うから、だから、どうか今日のところはお引き取りください……ません、か?」

 あたしは正座をして、バスタオルを腰に巻いたままの望くんに頭を下げた。

「……俺の方こそ突然上がり込んで、ごめん」
「……え」

 やだ、素直で可愛いんだけど。
 目の前で膝をついてシュンとしてしまう望くんに罪悪感を感じる。が、その前に、無駄な色気を漂わせていて目のやり場に困る。

「って、素直に帰るとでも思った?」

 は⁉
 覗き込む笑顔のその目は笑っていない。
 ですよね。分かっていました。

「シャワーで少し酔い覚めて、いきなり家に上がり込むとかやばいなって反省してたんだけどさ、さっきの曲。俺にはアウトなんだよね。なんであれかけたの? 煽ってんの?」

 どんどん詰め寄ってくる望くんにあたしは訳が分からずに組み敷かれる。

「な、何言って……」

 最近部屋で音楽とか聞いていなかったし、たまたまこの前思い出して聞いてみたら懐かしくて、それを付けただけだったのに。
 なんでこの曲が望くんにとってアウトなのかも、意味がわからない。
 このバンド、当時は売れに売れたけど、今となっては知る人ぞ知るだと思うんだけど? しかもこの曲はそこまでメジャーな曲じゃないし、知らない人は知らない曲だよ? なんで知っているの?

「ベッドで待ってるから、実智ちゃんもシャワー浴びてきて」

 耳元で囁かれて、体が震えた。

「……あ、よかったらそこにスウェットある……」

 指差した先に、置きっぽなしにしていた元カレにあげるはずだった新品のスウェット。

「……ありがとぉ」

 思い切り眉間に皺を寄せて不服そうな表情でお礼を言われた。
 見上げた望くんは水が滴ってより色気を纏う。眉をさらに顰めたかと思うと、小さくため息をついてあたしから離れた。

「やっぱ帰るわ、俺」
「……え?」
「いきなり押しかけてごめん。お願いだからさ……嫌いにならないでね」

 また脱衣所に消えてしまった望くんに唖然としつつ、スーツ姿に戻った望くんはあっさりと「またね」と帰ってしまった。
 一人取り残されたあたしは、なんだか孤独感を感じる。

「……はぁ。でも良かったよ、初対面の若い男の子と一夜の過ちとか。あり得ない。忘れよう」

 冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲み直すことにした。

 それにしても、なんで望くんはあたしのことを色々と知っていたんだろう。
 あたしが覚えていないだけ? 
 あー、最近物忘れ激しいからなぁ。もしかしたらどっかで会っていたのかもしれない。
 思い出せない、思い出せ! あたし!
 両手で頭を押さえつけて、懸命に記憶を絞り出す。

 『僕、実智ちゃんと結婚する!』

 遠い記憶の中で、望くんの笑顔とその言葉がリンクする。
 あたしの家の隣に住んでいた、のんちゃん。
 小さくて可愛くて、あたしの周りをいつもちょこまか走り回っていた男の子。
 一人っ子のあたしはのんちゃんを自分の弟のように可愛いがっていた。
 まさか……あの、のんちゃんが望くん?

 『やっと……大人になれたのになぁ』

 きっとそうだ! のんちゃんだ!
 小さい頃から可愛い顔はしていたけれど、あんなにイケメンに育ったのね。大きくなって……なんだか嬉しい。
 ……って、まて。待て待て待て。
 あたし、のんちゃんとキスしたね、濃厚なやつもしたね、危なく一夜を共にするところだったよね?
 やばい、やばい、やばいやばい。よかった、マジで。のんちゃんが思いとどまってくれて。
 もう会うこともないだろうし、懐かしい人に会えたってことで、良しとするかぁ。

 脱力してベッドへ倒れ込むと、玄関のチャイムが鳴った。
 時刻は午前一時半。

 こんな時間に、誰。

 恐る恐るドアスコープを覗くと、そこに見えたのは泣いているように歪んだ顔の望くん。
 急いでドアを開けてしまう。
 望くんはすかさず玄関へと入り込んでドアを閉めると、ガチャリと鍵を閉める音。

 ん?

「やっぱり今日、泊めて」

 ニッと笑顔の望くんは泣いてなんかいない。
 再び部屋に上がり込み、あたしが出したお茶を啜る。

「……のんちゃん、だよね?」

 あたしの問いかけに、望くんがピクリと反応する。

「あたしの実家のお隣の、小さくて可愛いのんちゃん、なんだよね?」

 またもや眉間に寄る皺を見て、あたしは声が徐々に小さくなっていく。

「分かっちゃった?」
「……うん」
「じゃあさ、なんで俺があの曲が嫌いかも分かるでしょ?」

 あの曲。
 だから、それ。なんで?
 あれは、高校の時に付き合っていた初カレがよくバンドでコピーして歌っていた曲。たまにあたしの家に遊びにきた時に歌ってくれたりしていたけれど。
 あれ? あの時確か。のんちゃんもあたしの部屋にいた気がする。

「彼氏に生歌歌ってもらって、すっげぇ嬉しそうな顔してさ、あの後俺、あの部屋から追い出されたんだよ。なんで追い出すのか意味分かんなくてさ、そっとドア開けて驚かそうとしたら、実智ちゃんとあいつがキスしてた」

 望くんのギロリと鋭い視線が突き刺さってくるけれど、あたしは身に覚えがあり過ぎて左右へと目を泳がせた。

「……や、やだ、見てたの?」
「見ちゃったんだよ。仕方ねーだろ。だから、あいつもその歌も大っ嫌いなんだよ! その後……」
「うわーーーー!!」

 ちょっと待って! それって、それってさ、歌ってもらって、キスされて、その後って。

「あいつが俺のこと気が付いて、見んじゃねえって睨まれたから逃げた」

 あ、そっか、それなら良かった。
 ホッと胸を撫で下ろすのも束の間。望くんの勢いは止まらない。

「あの時確実にヤッたよな⁉ 夕方まで親いなかったし」

 あー、うん。そうだね、その通りだよ。なんと懐かしい思い出。

「俺悔しくて、でも、なんで悔しいのか分かんなくて。実智ちゃんを取られたのが悔しいんだって、早く実智ちゃんに追いつきたいって必死に勉強したし運動も頑張ったんだよ」
「……確かに、あの辺りからのんちゃんの姿を見かけなくなった気がする」

 いつまでもあたしのことをお姉ちゃんだと思って、頼ってきてはくれないよなって、少し残念だった。

「ねぇ、俺酒も飲めるようになったし、キスもそれ以上も上手くなったよ? だからさ、俺と付き合ってよ。実智ちゃんじゃなきゃダメなんだよ」

 あたしに近づいてきてまたキスをされる前に、添えられた顎の手を掴んだ。

「なんかさ、それってただあの時のあたしの彼氏に張り合ってるだけじゃない?」
「……え」
「うん、たぶんそうだよ。小さいなりに、仲良くしていたあたしを取られた気がして、ショックを受けただけ。それに意地張っちゃったんだよ。お酒が飲めるのも、キスが上手くなったのも、あたしの為じゃなくて、自分の為だよ。だからさ、ちゃんと、大事にしてあげられる子を見つけてよ。実智ねぇちゃんからは、それが最善のアドバイスだよ」

 望くんには、ちゃんと恋愛してほしい。

「……なん、だよそれ。どこまでも俺は恋愛対象外なの? 実智ちゃんのことがすっげぇ好きな俺の気持ち、どうすればいいの? 教えてよ……」

 抱きしめられる力は強いのに、包み込む手の温もりが優しい。泣いている様な息づかいに胸が震える。

「大好き、実智ちゃん。ずっと実智ちゃんのこと考えて過ごしてた。会いたくて、触れたくて、やっと会えたんだよ。俺の我慢ももう限界だからさ、受け入れてよ、さっきのキスみたいに簡単に。なんも考えなくて良いから、俺はこの先もずっと、実智ちゃんだけしか愛さないから」

 あたしの頬を撫でる望くんの瞳からこぼれ落ちる涙をそっと拭ってあげると、どちらともなく唇が触れ合った。
 緩めたネクタイとワイシャツのボタンが外れていく。
 もう、何も言わなかった。何も考えたくなかった。
 目まぐるしく回る日々が充実していると錯覚していた。終わった過去をたまに思い出して感傷に浸ったりして、あたしは毎日毎日つまらない日常を過ごしていた。
 平凡で良い、普通で良い。
 それってなんだろう。

 あの頃、小さくて可愛くて、素直でわがままだったのんちゃんがいきなり男になって現れて、動揺してしまったけれど、真っ直ぐな愛は、あの頃のまま素直だ。

 あたしに触れる全てがそう思わせてくれる。
 望くんを好きになっても、許されるのかな。

「好きだよ、実智ちゃん……」
「……ん……」
「……ちゃんと実智ちゃんも言って?」
「ん?」

 ちゅ、と頬に触れる唇が少し膨れている。
 いや、でも、あたしにとってはやっぱり望くんはほとんど初対面で、こんなに愛してもらっていて申し訳ないけれど、それを言うのは違う気がする。
 なんか取ってつけた様で嘘っぽい。だからさ。

「……好きとは言わない」

 完全に酔った勢いで流されちゃってるんだ。そんな適当な関係に、好きとか言えない。

「……じゃあ、好きになってくれるまで愛すから」
「え……っ!」

 結局、望くんの熱に溺れてしまったあたしは、尽きることなく久しぶりに愛されていると感じる幸せな夜を過ごしてしまうことになった。



****

 翌日、帰ったはずの望くんはキャリーケースにバックパックを背負って、またあたしの家に現れた。

「実智ちゃん、末長くよろしくお願いします」
「……え?」

 深々と頭を下げる望くんの姿に、頭がついていかない。
 え、なに? どういうこと⁉


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