だから、好きとは言わない

7 本心、バレバレ

「望って実智のこと相当好きだよね」

 スプーンを差し出してくれながら、寛人が笑っている。

「……え、寛人気が付いてたの?」
「え? バレてないと思ってたの? うそだろ」

 驚きながら笑う寛人に、あたしは友香にも視線を送る。

「だから、一番最初の飲み会の時にすでに実智好き好きビーム出しまくってたじゃん」
「え! ちょっ、え、ちょっと待って?」

 友香はともかく、寛人も望くんがあたしのことを好きだって知ってたっておかしくない?

「それなのに、あたしと一緒に住めとか言ったの!?」
「うん。だってそれが一番でしょ? 望仕事も出来るし、真面目だし、可愛いし……ふっ」

 何かを思い出すように寛人は途中で笑い出してしまう。

「……なに? どうしたの?」
「今朝さ、俺望に電話したじゃん?」

 オムレツを食べている時に来た、寛人からの着信に望くんが出ていたことを思い出す。

「オムレツ食べてたんだろ? 望にさ、ケチャップでハート描いてもらった? って聞いたんだけど、スマホ越しでも分かるくらい、あいつめちゃくちゃ焦っててさ、可愛いやつだなーって思ってたんだよね」

 悪戯な笑顔は悪いなんて微塵も思っていないように穏やか。

 た、確かに。何故かあの時、焦って出ていったのを不思議に思った。寛人にそんなことを言われていたのか。照れた望くんの顔、ほんのり色付く頬を思い出す。

「……ふ、はは、ほんと、望くんって可愛いよね」

 じわじわ湧き上がってくる笑いを抑えきれなくなってしまって、あたしは笑った。

「やっぱ、望と一緒に住んだら? 俺、あいつからかうの最近の楽しみなんだよね」
「わ、ひどくない? 望くんかわいそう。こんな上司持って」
「素直でいいやつだと思ってるよ。めちゃくちゃ実智のこと好きっぽいし。ここにいた時からひしひしと伝わってきてた。二人が上手くいけばいいなって、思ってるよ、俺」

 ようやく友香のミネストローネにスプーンを潜らせて、寛人は「美味しい」と食べ始めるから、あたしはすっかり気が抜けてしまった。
 望くんには好きとは言わないと、ずっと意地を張ってきた自分が、なんだかバカらしくなる。好きでもいいんだ。
 過去のしがらみとか、未来がどうとか、そんなの、好きって今の気持ちを優先してしまえば、どうでも良くなる気がする。
 あたしは、望くんのことを受け入れてもいいんだと、寛人のおかげで気がつけた。

「寛人って最高だわ」
「えー? 今更気が付いたの?」
「ううん、ずーっと前から最高の大親友だよ」
「ありがとう。俺も実智のこといつでもそう思ってるよ」

 グラスを片手に薄っすら目を細めて微笑む寛人は色気を漂わせる。

「寛人は、いい人いないの?」
「んー、俺のことはいいから。ほら、清春さんの料理食べよ。これなんだろう?」

 あたしの質問には答えずに目の前に並ぶお重の中身を眺めて、どれにしようか迷っている。
 寛人程のいい男、きっと狙ってる女は星の数ほど居るはずだ。それなのに、この部屋にあたしと友香以外の女性の影を感じたことは一度もない。まぁ、元々この家には生活感を感じないとも言えるんだけど。

「寛人こそ、もうそろそろいいと思うんだけどね。あたしも何度か言っててもこの通り。もう少し様子みるしかないね。さ、食べよ食べよっ」

 友香が呆れたように肩を落とすと、お重の説明をし始めるから、あたし達は一つずつ味わって思う存分清春さんの豪華料理を堪能した。

「友香、実智と今日泊まる?」

 お風呂の湯沸かしボタンを押しながら寛人がすっかりソファー下で伸びて寛いでいたあたし達に聞いてくる。

「あ! あたし帰る。迎えくるから」
「え、清春さん? もう午前一時過ぎてるけど……」
「さっき、まだ? って連絡きたから、待機してるっぽいし。そろそろお暇します。実智は? もし帰るなら送るよ?」
「あー、あたしは泊まる」

 今帰って、望くんのこと起こしてしまったりしたらかわいそうだし、もう泊まるって言って来ちゃったし、結構飲んだから正直もう寝てしまいたいのが本音だ。
 凌の本当のことを知って、少し心にポッカリと穴が空いたような気持ちにもなっているし。

 友香が連絡を入れてすぐに清春さんは迎えにきてくれた。インターフォンが鳴る直前までスパークリング日本酒をずっと飲み続けていた友香。よほど気に入ったんだろう。お土産にと寛人が清春さんにも渡していた。
 眠りかけていた友香をしっかりと抱き支えるようにして、清春さんは帰っていった。
「ほんと優しいよねー、清春さんは。料理も上手だし、こんな時間なのに文句も言わずに笑顔で迎えに来るし。友香は愛されすぎてる」

 決して大柄ではないし、むしろヒョロリとしていて一見頼りなさそうには見えるんだけど、心配そうに酔っ払いの友香を支えて帰っていく清春さんの背中は逞しいと思った。
 怒る感情を忘れてしまったんじゃないかと思うくらいに何があっても冷静でにこやか。多くを語らないし、大人の余裕と言うものをいつでも感じる。

「俺にはたまに暴言吐くけどね、あの人」
「え?」

 部屋に戻って来て、テーブルの上を片付けながら寛人がおかしそうに笑う。

「やっぱ俺は男だし、家に呼んだりして何か裏があるんじゃないかって疑われるわけよ。まぁ、当たり前っちゃ当たり前だよね」
「そー、だよね。確かに、寛人かっこいいし優しいし、旦那から見たら心配になるよね」
「お、かっこいいなんて言ってくれるの実智くらいだよ」

 ははっと目を細めて「ありがとう」とつまみで出していた一口チョコクッキーを差し出された。受け取って口に放ったら、寛人が優しく笑った後に、寂しげな目をして俯いた気がした。

「ほんとにいないの? 良い人」
「……んー、まだ、良いかなって。あ、ほら、風呂沸いたよ」

 お風呂が沸いたことを知らせる音楽が鳴って、あたしからグラスを取り上げると、寛人はキッチンへと向かった。

「今日の主役は何もしなくて良いから。風呂入ってきたら、デザートあるよ」
「え! やった。行ってくる」

 洗い物をしながら喜ぶあたしに微笑む寛人は寛大な父のようだ。親友二人から見たら、あたしはやっぱりまだまだお子ちゃまなんだな。
 小さなため息を吐きつつ、バスルームへ向かおうとした瞬間に、バッグと一緒に置いていた紙袋が目に止まった。

「あ! 忘れてたー!」

 すっかり、寛人と友香に買って来た湯呑みを渡すことを忘れていたあたしは、急いで紙袋から箱を取り出した。

「ごめん、寛人。これ、いつもほんっとありがとう。寛人と友香がいてくれるから、あたし元気でいられる。これはあたしからの二人へのお礼の品です。どうか、お納めくださいー」

 寛人の方へと向いて、姿勢を正すと、頭よりも高く箱を掲げた。

「……ははっ、なにそれ? そんなん良いのに、気にしなくても。今手離せないから置いといて。終わったら開けるの楽しみにしとく」
「うん、置いとくね」

 テーブルに箱を置いて、今度こそバスルームへと向かった。
 シャワーを借りて戻って来ると、ソファーに座って湯呑みを眺めている寛人の姿に駆け寄った。

「あ、実智。ありがとう、めちゃくちゃ良いやつじゃない? これ」
「気に入った?」
「もちろん」
「良かった」

 寛人の反応に安心して、あたしもソファーに座り込む。
 ポカポカになった体と包み込むようなソファーの柔らかさに、一気に眠気が襲って来る気がして、さっきの寛人の言葉を思い出す。

「あ! デザート」

 閉じかけた目を開いて叫んだあたしに、寛人は笑いながら立ち上がってキッチンへと入ってからすぐに戻って来た。

「はい、フレーバフルの苺シャーベット」

 デザートグラスに入ったルビー色に宝石を散りばめたような果肉が煌めくシャーベットが目の前に置かれて、あたしの目はキラキラと輝く。

「友香の分もあったんだけど、帰っちゃったから、明日もう一個実智にあげる」
「わーっ、やった! ありがとう、嬉しいっ」

 やっぱり寛人はわかってる。
 自分の分もテーブルに置いて、寛人が隣に座った。

「実智さ、望に抱かれてるでしょ?」

 シャーベットに夢中になっていたあたしは、スプーンを持つ手が止まって、隣にいる寛人の方へと顔を向けた。
 ニコニコと笑顔の寛人の視線が、あたしの目から少しズレて首元へと落ちる。
 咄嗟に、デザートグラスで首元を隠すあたしに、寛人は驚きながらも笑った。

「あいつに見えるとこに付けんなって注意しとかないとな」
「あ……、えっと」

 まずい。さっきまでは襟元高めの薄手ニットを着てたけど、シャワーした後に持って来たゆったりめのTシャツに変えたから、首元が無防備になってしまったんだ。
 これは、かなり恥ずかしいんだが。

 上がって来る熱を冷やそうと、あたしはシャーベットを夢中で口に運んだ。

「やっぱ若いから手が早いよな。一緒に住めなんて言わなきゃ良かったかも。まぁ、もう遅いんだけどさ」

 眉を下げて笑う寛人に、なぜかあたしの胸が痛む。
 シャーベットを食べながら、寛人は何もなかったように「美味しいね」と笑う。

 どういう意味なんだろう。

ーー
一緒に住めなんて言わなきゃ良かったかも。
ーー

 冷たいシャーベットで熱った体が落ち着くと、寛人があったかいお茶を淹れてくれた。
すっかり酔いも覚めたし、お腹いっぱいになったあたしはあくびを一つ。

「もう、こんな時間か。俺風呂行ってくる。実智は? 結構飲んだし眠いでしょ? 向こうの部屋使って良いからね」
「あ、うん。ありがとう」

 バスルームへ向かった寛人の背中を見送ってから、あたしはいつも使わせてもらっている部屋へと入って布団に潜った。

 ふかふかの布団は睡魔をすぐに呼び寄せる。夢を見た。

 夢の中で、寛人が悲しそうにあたしの頭を撫でてくれる。とても優しくてあったかくて、すごく安心したけど、どうしてそんなに悲しい顔をしているのか、気になった。

 朝方、まだ外も薄暗い頃に一度目が覚めた。 思い出すのは、寂しげな寛人の表情。寛人も悩んでいるはずなのに、あたしばかり楽しくいたんじゃいけない気がする。
 友達の為にって凌のこともあたしのことも気にしてくれて、あたしだって寛人の悩みの相談くらいのってあげられるのに。今までは聞いてもらってばかりだった。
 寛人が起きたら、話を聞いてみよう。





 あれからまた眠ってしまったあたしは、カーテンの隙間から差し込む日差しで目が覚めた。
 時計へ目を向けると、時刻は午前八時。

 あー、だいぶ寝たな。

 まだぼーっとする頭に新しい空気を吸い込み、あくびをしながら両腕を上げて伸びをした。
 寝癖のついている髪を手櫛で梳かしてバスルームへと向かう。

 先客。シャワーの音が聞こえてくると言うことは、寛人が入っている。

「おはよう寛人、こっち使うね」

 構わずにあたしは洗面台で顔を洗いはじめた。パシャパシャと顔にぬるま湯を当てた瞬間にガチャっとドアの開く音が聞こえて、「うわっ!」と驚く声がした。

「な、いるなら声掛けろよ」
「えー、おはようって言ったよー」

 目を瞑ったままあたしは答える。
 寝ぼけていた頭もスッキリしたあたしは、水の滴る腕を伸ばした。

「あ……寛人、タオル!」
「は? 準備しとけよ」
「つい、自分ちのくせで」
「……はい」
「ありがとっ」

 ふわふわのタオルに顔を埋めて水分を拭き取ると顔を上げた。
 目の前の上半身裸の寛人は腰にタオルを巻いただけの格好で髪をかきあげながら呆れた顔をしている。

「家でもそんなんなの?」
「え、うちでは勝手分かってるから、手を伸ばせばすぐこの辺にタオル置いてるし」

 いつもやっているように動きを付けて説明するけど、寛人の割れた腹筋が逞し過ぎてなんとなく視線に困る。
 脱いだとこなんて見たことなかったし、スーツ姿の寛人は細くてスタイル抜群だから、まさかこんな筋肉質だなんて思いもしなかったし。

「……もしかして、実智。俺の体に欲情してる?」

 近付いてきて聞く寛人からは、もはや色気しか感じない。

「んなわけ……」
「可愛いよね、やっぱ実智は」

 にこっと微笑んであたしからタオルを取ると、寛人はそれで髪を拭きはじめた。

「俺の裸見たお詫びに、朝ごはん俺の好きなの作って。着替えたら行くから。よろしくねー」

 くるりと向きを変えられて、あたしはバスルームから出された。
 パタリと閉まってしまったドアを見つめて深呼吸をする。

 寛人は無駄な色気が多すぎる。
 よく今まで間違いが起こんなかったな。

 いや、いやいやいや、忘れろ。
 寛人のあの肉体美は忘れろあたし。

 当たり前の話だ。寛人と間違いなんてあったら凌と付き合ってないしあんなに長く続いていなかったし、寛人が友達でいてくれたから、あたしはずっと楽しかったんだ。

 言われた通りに冷蔵庫を確認すると、あるのはベーコンとキャベツと卵。それを取り出してスープを作ることにした。
 空っぽに近い冷蔵庫には昨日のお重の残りも入っていた。
「ほんっとーーっに、ありがとうございます」

 寛人が戻って来るなり、ソファーに正座をして、あたしは深々とひれ伏した。
 すっかり身支度の整った寛人が、唖然として立ち尽くす。

「な、なに? 突然」
「だってさ、あたし本当に寛人にばっかり頼ってるし甘えてるし、これから先あたしだけ幸せにはなれないなって。寛人も悩んでいることがあるなら、あたしのことも頼って欲しいって、本気で思ってるからね」

 意気込むあたしに、寛人が目の前までくると優しく微笑んだ。隣に座って、髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でられて前が見えなくなる。

「……寛人さん?」

 これは一体。嫌がらせ?

「じゃあ、実智のこと抱きしめてもいい?」
「……え?」

 寛人の表情がぐじゃぐじゃの髪の毛が邪魔してよく見えない。
 笑っていて冗談で言っているのか、だけど、声は最高に切なくて胸が締め付けられる気がする。

「嫌ならしないよ」
「……いいよ。あたしでいいなら」

 それで寛人の寂しさが少しでも埋まるのなら。
 頷くと同時に、シャボンの爽やかな香りがあたしを包み込んでくる。
 強く、だけどとても優しい。
 なんだか、あたしのことを大事に大事に、壊れないように触れてくれているような、そんな錯覚に陥ってしまう。

ーー寛人の悩みや辛さってどこで吐き出してるんだろう。ーー

 友香の言葉を思い出す。

 もしかしたら、今が聞いてあげられるチャンスなのかも。きっと、寛人も言えない悩みを打ち明ける代わりに受け止めてほしいと思ってこうしているのかもしれない。

「……ねぇ、寛人……」

 切り出そうとした瞬間に、テーブルの上のスマホが鳴った。

 一瞬、寛人の肩がビクッと震えて、すぐにあたしから離れていく。

「あ、ごめんな、電話出て」

 ソファーに座り直す寛人を気にしながら、あたしは乱れていた髪を整えつつ、スマホへと視線を向けた。
 テーブルの上で着信を告げているスマホの画面には、〝望くん〟の文字。

「はい」
ーーあ、えっと……おはよう、ございます。

 スマホ越しの望くんの声。
 なんだかずっと長い間会えていなかったように懐かしく感じる。

「おはよう。どうしたの?」

 あたしの問いかけに、しばらく無言が続く。
黙ったまま言葉が返ってくるのを待っていると。

ーーまだ……帰ってこない?

 泣きそうなほどに小さな声の望くんに、あたしは思わずソファーから立ち上がった。

「帰る! 帰るよ、今から」
「え、帰んの? 実智……まだいてよ」

 すぐに通話を終わらせて、あたしは荷物をまとめる。

「シャーベット食べてったら?」
「ううん、ありがとう寛人。あたし望くんが待ってるから帰るね。あと、今の続き、今度また絶対に聞くから飲みに行こう! 朝ごはんは寛人の好きなキャベツとベーコンのコンソメスープ、卵落とし! 出来てるからね、じゃあお邪魔しました!」

 ドタバタとせわしなく出て来てしまったけど、きっと寛人にはいつもの事だし、今度の飲みの時にはあたしが奢ってあげて悩みを聞いてあげよう。


 天気は晴天。
 見上げた空には雲ひとつない。
 まるで、あたしの心の中みたいにスッキリと晴れ渡っている。

 望くんが好き。それで良いんだ。

 一緒にいて嬉しいのも、楽しいのも、ちょっと迷惑なのも、全部引っくるめたら好きってことだ。
 凌と離れてから失ったものが、全部戻って来た気がする。
 望くんが来てから、厄介だけど、あたしの中で色んな感情が動きはじめている。
 年下にこんな楽しい気持ちを教わるなんてな。

 今まで仕事ばかりに没頭して生きて来たことがなんだか、決して無駄とは言わないけれど、勿体なかった気がする。
 凌の気持ちもちゃんと分かってあげられたら、凌の結婚相手は変わらず、あたしだったのかな?
 なんて、今は考えても笑い話にしかならない。


 揺れる電車、降りた駅から真っ直ぐにアパートへと向かう。
 鍵は当然開いているものだと、一度ドアに手を掛けるけど、ガチャっと音を立てるだけで開かない。
 あ、ちゃんと鍵かけてたんだね。

 今ので気が付いて開けに来てくれたら嬉しいんだけどな。と、耳を澄ましてみるけど中からは物音一つしない。
 鍵も少し待ってみたけど開く気配がないから、自分でドアを開けた。

 シンっと静かな部屋の中、望くんの姿があると思っていたのに、誰もいない。玄関に、望くんがいることを知らせるスニーカーは無くなっていた。

 出掛けちゃった?
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