ズルくて甘い包囲網~高嶺のパイロットはママと双子を愛で倒したい~
 自分の仕事にはお客さまと乗務員、数百人の人命がかかっているのだ。それを忘れてはいけない。

 琴音は小さく深呼吸をしてから、彼に頭をさげる。

「――よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」

 操縦を担当するパイロットは、自らの目で機体の最終チェックを行う。この作業を経て、機体は整備士からパイロットへと引き渡されるのだ。

 黎治はなんの動揺も見せず、真剣な瞳で丁寧に機体を確認していく。琴音はその様子を黙って見つめていた。

「確認、完了しました。ありがとうございます」
「はい」

 琴音を見る彼の表情に変化はない。琴音はふぅと小さく息を吐く。安堵したのか、寂しいのか、そのため息は自分でもよくわからない複雑な色を帯びた。

(ははっ、忘れられてる……いやでも、考えてみたら当たり前よね)

 黎治はものすごくモテる人で、付き合いのある女性は数多くいたのだと思う。気まぐれに、ほんのひととき遊んだだけの琴音のことなど覚えていなくて当然だ。

(無意味に焦ったりして、ちょっと恥ずかしい)

 琴音はかすかに頬を染めた。それから、自分の心に整理をつける。

(これでいい、私もなにも覚えていないふりをしよう)

 忘れられていて、よかったのだ。だって、現在の彼には家庭があるはず。双子の存在は決して黎治に知られてはならない秘密だから……。

「それでは、私はこれで」

 琴音は軽く会釈をして踵を返す。
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