🌊 海の未来 🌊 ~新編集版~
母味優(マンマミーユ)と食楽喜楽(しょくらくきらく)
        🍴 母味優(マンマミーユ) 🍴  

 美久の父、守人(もりと)は4年前に60歳を迎えて再雇用となり、給料が半分になっていた。
 それでも働けるだけありがたいと思い、65歳まできっちり勤め上げるつもりだった。
 しかし今年の4月、新人の頃から可愛がっていた元部下が上司として異動してきた時、心境に変化が起こった。
〈もういいかな〉と。
 ただ、年金が満額出るまでに1年近くあるので、週2,3日勤務の所を探してソフトランディングすることを考えた。
 が、そのことを中々妻に切り出せなかった。
〈あと1年辛抱して〉と言われたら返す言葉がなかったからだ。
 だから一日一日と先延ばしにしていたが、心の中のモヤモヤはどんどん増していた。
 それは、元部下への対応の難しさから来ていた。
 昔は『了解』と言っていたのが、今は『承知いたしました』と言わなければならないことに耐えられなくなっていた。
 もう限界だった。
 一日も先延ばしにすることはできない状態になったので、思い切って妻に打ち明けた。
 すると、意外な返事が返ってきた。
 
「主夫になる気ある?」

「主夫って……」

 妻は居住まいを正した。

「私、専業主婦を卒業したいの」

 今年55歳になる優美(ゆみ)と結婚したのは彼女が26歳の時だった。
 翌年美久が生まれると子育てに忙殺され、子供に手が離れてからも家事などに追われる日々が続いている。
 
「専業主婦卒業して何やるの?」

 恐る恐る訊くと、「将来、自分のお店を持ちたいの」と、またもや予想外の言葉が返ってきた。
 食べ物屋さんをしたいのだという。
 それに、店の名前も決めているという。
 母親が子供の幸せを願う気持ち、おいしい料理や体に優しい料理を食べさせたいと願う気持ち、それらを込めて店名を考えたと言った。
 その名は『|母味優(マンマミーユ)
 
「でも、そんなに簡単に店は持てないんじゃないの」

 単なる願望だけでは失敗すると釘をさすと、「もちろん、すぐにじゃないの。料理の腕を磨くだけじゃなくてお店のマネジメントも勉強しなくちゃいけないから、3年後、4年後になると思うの」と計画があることを(ほの)めかした。

 しかしそう簡単には納得できなかった。
 経験のない主婦を修行という形で迎え入れてくれる店が容易に見つかるはずはないからだ。
 それを指摘すると、即座に具体的な店名を告げられた。

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