🌊 海の未来 🌊 ~それは魚の未来、そして人類の未来~ 【新編集版】
日本漁業の未来研究会
🌊 日本漁業の未来研究会 🌊
「乱獲が元凶なのです」
駿河湾の漁師、粋締瞬の大きな声が会議室に響き渡った。
彼は漁業水産省が主催する『日本漁業の未来研究会』に漁師代表として参加していた。
「今すぐ規制すべきです。成魚になる前の小さな魚を獲ってはダメなんです。漁獲規制の検討を今すぐ始めなければ日本の海は手遅れになってしまいます。それでいいんですか!」
拳を机に叩きつけんばかりにして捲し立てた。
しかしそれを遮るように「私は反対です」という声が上がった。
もう一人の漁師代表、取出都留代だった。
「漁師が目指すのは大漁です。大漁旗を立てて港に帰ることが最高の幸せなのです。漁獲高を規制されたら、漁師のやる気は萎んでしまいます。競争するから腕が磨かれるんです。漁が割り当てになったら、誰も腕を磨かなくなってしまいます」
強張った顔で粋締と対峙する覚悟を露わにしたが、何故か急に勝ち誇ったような表情になった。
「規制しろと言うのは、腕に自信がない負け犬漁師の戯言でしかありません」
「なんだと!」
粋締が両拳を机に叩きつけて立ち上がった。
その時、「冷静に……お願いします……」という弱々しい声が、激しくいがみ合う粋締と取出の間に入った。
声の主は、2人の顔と大臣の顔をオロオロしながら見ている漁業水産省事務次官の谷和原軟三郎だった。
隣に座る漁業水産大臣の豪田剛子は無言で腕組みをしたまま成り行きを見守っていた。
そんな中、男が手を上げた。
NPO法人『美海』代表の大和大志だった。
「日本の海の広さは世界で6番目です。日本は豊かな海に囲まれた国なのです。遠浅の砂浜や急深な磯場があります。そして、穏やかな内海と波の荒い外洋が広がっています。亜寒帯から亜熱帯に広がる海を持っています。黒潮や親潮がぶつかる複雑な海流が世界有数の漁場を育てています。しかし、」
そこで声を止めて折れ線グラフが印刷された紙を掲げた。
「日本の漁獲高は、日本の漁師の収入は、なぜ年々下がり続けているのでしょうか?」
そして、もう一枚の紙を掲げた。
「漁獲高が減り、収入が落ち込んだ結果、漁師の数は激減しています。日本の人口が今の半分だった頃、漁師は300万人もいたそうですが、今どうなっていますか?」
その紙をぐっと前に押し出した。
「15万人を切っています。しかも数が大幅に減っただけでなく、半分以上が60歳を超えています。若い人が漁師になりたがらないのだから当然ですよね。収入に魅力がないのだから誰も漁師にはなりませんよ。だから新規就業者がどんどん減っているのです。その数を知っていますか? 1,700人です。たったの1,700人なんです。このままいくと何十年後かには日本に漁師はいなくなるかも知れません。こんなことでいいのでしょうか」
すると、たまらなくなったように別の男が手を上げた。
漁業コンサルタントの真守賀加知だった。
「粋締さんと大和さんの意見に同感です。日本の漁業は危機に直面しています。今すぐ手を打たないと手遅れになります」
そして、豪田大臣と谷和原事務次官に対して次々に強い視線を送った。
「日本の水産行政は漁業先進国に大きく遅れをとっています。科学的な資源管理が主流になる中、日本の現状は目を覆うばかりです。今すぐ乱獲防止や資源保護のための規制を強化しなければなりません」
その瞬間、豪田の左眉がぴくっと動いて手を上げかけたが、それより早く取出が手も上げずに大きな声を発した。
「一律削減なんてまっぴらごめんだわ。私たち零細漁師がいつも割を食うのよ。資源が減ったのは大型漁船のせいで、私たち沿岸漁師のせいじゃないわ」
頬が膨らんで、顔に赤みが差した。
「一律削減なんて言っていません。規制の強化と言ったのです」
「でも、規制を強化するということは」
しかし、真守賀は取出に最後まで言わせなかった。
「私が言っているのは魚種別漁獲量の割当と個別割当の早急な実施なのです」
「だから、」
「最後までよく聞いてください」
真守賀は取出を落ち着かせようと両手の指を広げて掌を下に動かした。
「先ず魚種別の資源を科学的に調査します。そして、その資源量に応じて魚種別漁獲量の割当を行います。その上で、漁船ごとの個別割当を行うのです。もし資源量が減少していたら、その場合は大型船の割当を減らします。北欧の国では大型船の削減量を大きくし、小型船への影響を最小限にとどめています。その代わり、資源が回復してきたら大型船から先に割当を増やすようにしているのです」
「でも、減らされることに変わりないじゃない。それって収入が減るということよね。その減った分はどうしてくれるのよ。事務次官、補助金出してくれるの?」
いきなり話を振られた谷和原は目を白黒させて「補助金につきましては……」と蚊の泣くような声を発して大臣の顔色を窺った。
すると豪田は〈余計なことは一切言うな〉というように鋭い目付きで睨みつけた。
蛇に睨まれた蛙のような状態になった谷和原は机の上の資料に視線を落として唇を結んだが、それで終わったわけではなかった。
粋締のキツイ言葉が飛んできたのだ。
「補助金という言葉を二度と口にするな! 補助金が漁師をダメにしたんだ。タダ金を貰ったら誰も努力しなくなるのは当然だろ!」
「その通りです。政治家や役人はすぐに補助金という言葉を口にします。しかしそれは産業の将来を見据えた対策ではありません。選挙対策でしかないのです。根本的な治療ではなく対症療法なのです。日本の農業がどうなっていますか? 補助金漬けの結果、高コストのまま自立できない状態でもがいているじゃないですか」
粋締を援護するように発言した真守賀が谷和原を睨みつけた。
「事務次官、あなたは魚を愛していますか? 海を愛していますか?」
問われた谷和原が固まったまま更にきつく唇を結ぶと、豪田は〈これ以上紛糾させてはならない〉というようにすっと立ち上がって顎をぐっと引いた。
「本日は貴重なご意見をありがとうございました。ご指摘の通り、日本の漁業は危機的な状況にあります。このまま放置していたら大変なことになります。しかし残念ながら今までの行政は場当たり的な対応に終始していたと言わざるを得ません。粋締さんがおっしゃるように根本的な対応をしてこなかったためにこの状況を招いてしまったのです。でもそれでいいわけはありません。私は漁業水産大臣としてこの無作為に終止符を打つ覚悟を持っております。既得権の壁を打破したいと思っています。そのためにも更に様々な立場の方のご意見を伺って日本の漁業の未来を考えていきたいと思っております。本日は誠にありがとうございました」
唇を真一文字に結んだ豪田が深々と頭を下げた。
「乱獲が元凶なのです」
駿河湾の漁師、粋締瞬の大きな声が会議室に響き渡った。
彼は漁業水産省が主催する『日本漁業の未来研究会』に漁師代表として参加していた。
「今すぐ規制すべきです。成魚になる前の小さな魚を獲ってはダメなんです。漁獲規制の検討を今すぐ始めなければ日本の海は手遅れになってしまいます。それでいいんですか!」
拳を机に叩きつけんばかりにして捲し立てた。
しかしそれを遮るように「私は反対です」という声が上がった。
もう一人の漁師代表、取出都留代だった。
「漁師が目指すのは大漁です。大漁旗を立てて港に帰ることが最高の幸せなのです。漁獲高を規制されたら、漁師のやる気は萎んでしまいます。競争するから腕が磨かれるんです。漁が割り当てになったら、誰も腕を磨かなくなってしまいます」
強張った顔で粋締と対峙する覚悟を露わにしたが、何故か急に勝ち誇ったような表情になった。
「規制しろと言うのは、腕に自信がない負け犬漁師の戯言でしかありません」
「なんだと!」
粋締が両拳を机に叩きつけて立ち上がった。
その時、「冷静に……お願いします……」という弱々しい声が、激しくいがみ合う粋締と取出の間に入った。
声の主は、2人の顔と大臣の顔をオロオロしながら見ている漁業水産省事務次官の谷和原軟三郎だった。
隣に座る漁業水産大臣の豪田剛子は無言で腕組みをしたまま成り行きを見守っていた。
そんな中、男が手を上げた。
NPO法人『美海』代表の大和大志だった。
「日本の海の広さは世界で6番目です。日本は豊かな海に囲まれた国なのです。遠浅の砂浜や急深な磯場があります。そして、穏やかな内海と波の荒い外洋が広がっています。亜寒帯から亜熱帯に広がる海を持っています。黒潮や親潮がぶつかる複雑な海流が世界有数の漁場を育てています。しかし、」
そこで声を止めて折れ線グラフが印刷された紙を掲げた。
「日本の漁獲高は、日本の漁師の収入は、なぜ年々下がり続けているのでしょうか?」
そして、もう一枚の紙を掲げた。
「漁獲高が減り、収入が落ち込んだ結果、漁師の数は激減しています。日本の人口が今の半分だった頃、漁師は300万人もいたそうですが、今どうなっていますか?」
その紙をぐっと前に押し出した。
「15万人を切っています。しかも数が大幅に減っただけでなく、半分以上が60歳を超えています。若い人が漁師になりたがらないのだから当然ですよね。収入に魅力がないのだから誰も漁師にはなりませんよ。だから新規就業者がどんどん減っているのです。その数を知っていますか? 1,700人です。たったの1,700人なんです。このままいくと何十年後かには日本に漁師はいなくなるかも知れません。こんなことでいいのでしょうか」
すると、たまらなくなったように別の男が手を上げた。
漁業コンサルタントの真守賀加知だった。
「粋締さんと大和さんの意見に同感です。日本の漁業は危機に直面しています。今すぐ手を打たないと手遅れになります」
そして、豪田大臣と谷和原事務次官に対して次々に強い視線を送った。
「日本の水産行政は漁業先進国に大きく遅れをとっています。科学的な資源管理が主流になる中、日本の現状は目を覆うばかりです。今すぐ乱獲防止や資源保護のための規制を強化しなければなりません」
その瞬間、豪田の左眉がぴくっと動いて手を上げかけたが、それより早く取出が手も上げずに大きな声を発した。
「一律削減なんてまっぴらごめんだわ。私たち零細漁師がいつも割を食うのよ。資源が減ったのは大型漁船のせいで、私たち沿岸漁師のせいじゃないわ」
頬が膨らんで、顔に赤みが差した。
「一律削減なんて言っていません。規制の強化と言ったのです」
「でも、規制を強化するということは」
しかし、真守賀は取出に最後まで言わせなかった。
「私が言っているのは魚種別漁獲量の割当と個別割当の早急な実施なのです」
「だから、」
「最後までよく聞いてください」
真守賀は取出を落ち着かせようと両手の指を広げて掌を下に動かした。
「先ず魚種別の資源を科学的に調査します。そして、その資源量に応じて魚種別漁獲量の割当を行います。その上で、漁船ごとの個別割当を行うのです。もし資源量が減少していたら、その場合は大型船の割当を減らします。北欧の国では大型船の削減量を大きくし、小型船への影響を最小限にとどめています。その代わり、資源が回復してきたら大型船から先に割当を増やすようにしているのです」
「でも、減らされることに変わりないじゃない。それって収入が減るということよね。その減った分はどうしてくれるのよ。事務次官、補助金出してくれるの?」
いきなり話を振られた谷和原は目を白黒させて「補助金につきましては……」と蚊の泣くような声を発して大臣の顔色を窺った。
すると豪田は〈余計なことは一切言うな〉というように鋭い目付きで睨みつけた。
蛇に睨まれた蛙のような状態になった谷和原は机の上の資料に視線を落として唇を結んだが、それで終わったわけではなかった。
粋締のキツイ言葉が飛んできたのだ。
「補助金という言葉を二度と口にするな! 補助金が漁師をダメにしたんだ。タダ金を貰ったら誰も努力しなくなるのは当然だろ!」
「その通りです。政治家や役人はすぐに補助金という言葉を口にします。しかしそれは産業の将来を見据えた対策ではありません。選挙対策でしかないのです。根本的な治療ではなく対症療法なのです。日本の農業がどうなっていますか? 補助金漬けの結果、高コストのまま自立できない状態でもがいているじゃないですか」
粋締を援護するように発言した真守賀が谷和原を睨みつけた。
「事務次官、あなたは魚を愛していますか? 海を愛していますか?」
問われた谷和原が固まったまま更にきつく唇を結ぶと、豪田は〈これ以上紛糾させてはならない〉というようにすっと立ち上がって顎をぐっと引いた。
「本日は貴重なご意見をありがとうございました。ご指摘の通り、日本の漁業は危機的な状況にあります。このまま放置していたら大変なことになります。しかし残念ながら今までの行政は場当たり的な対応に終始していたと言わざるを得ません。粋締さんがおっしゃるように根本的な対応をしてこなかったためにこの状況を招いてしまったのです。でもそれでいいわけはありません。私は漁業水産大臣としてこの無作為に終止符を打つ覚悟を持っております。既得権の壁を打破したいと思っています。そのためにも更に様々な立場の方のご意見を伺って日本の漁業の未来を考えていきたいと思っております。本日は誠にありがとうございました」
唇を真一文字に結んだ豪田が深々と頭を下げた。