🌊 海の未来 🌊 ~新編集版~
「環境に優しい漁法で獲った魚を優先して扱うようにしています。海底のすべてのものを破壊する漁法や小さな魚まで一網打尽(いちもうだじん)にする漁法で獲った魚ではなく、一本釣りや資源保護に配慮した漁法で獲った魚を最優先で仕入れているのです」

 それは素晴らしい方針だったが、それだけでは魚を揃えることは難しいのではないかと疑問が湧いた。
 それを(ただ)すと、大きな頷きが返ってきた。
 
「そうなんです。資源保護に配慮した漁法で獲れた天然ものだけでは品揃えができません。でも、環境に優しくない漁法の魚はできるだけ仕入れたくない。だから、養殖の魚で埋め合わせしています」

「そうでしょうね。全世界の養殖業生産量は天然の漁獲量を超えていますし、今後もその差は開いていくでしょうからね」

「そうなんですよ。養殖魚抜きの店頭は考えられなくなっています。でもね、養殖モノにはまだまだ問題点が多いんです」

「それは、海洋汚染とか」

「そうなんです。魚のフンとかエサの食べ残しなどによる自家汚染の心配が拭えないのです。だから、海洋汚染対策を施している養殖業者に絞って仕入れているのです」

「なるほど。でも、それも結構大変ですね」

「はい、ほかの養殖業者よりも単価が高くなるので、仕入れ値といつも睨めっこしています。でも、それよりなにより心配しているのは幼魚の乱獲です」

「それって、産卵年齢に達する前の魚のことですか?」

「そうです。例えば太平洋クロマグロではその漁獲量の98パーセントが幼魚だと言われています。98パーセントですよ。資源が減っていくのは当たり前ですよね」

 差波木が〈憤まんやるかたない〉というふうに口を尖らせたので、すぐさま同意の頷きを返した。
 すると彼はキリっとした表情になり、話を未来へ向けた。
 
「だから完全養殖の技術の確立を待ち望んでいるのです」

「そうですよね。それなら天然資源にも影響しませんしね」

「そうなんです。日本でも『持続可能な水産養殖のための種苗(しゅびょう)認証制度』の運用が開始されたので、それに合致した養殖魚が増えていくことを期待しているのです。世界の人口増加と天然魚の資源量を考えると、おいしくて、かつ、安心して食べられる養殖魚が安定的に供給されることは重要だと思っているからです」

 彼の話を聞きながら、日本の各施設で研究が進んでいる完全養殖への取り組みをもっと応援しなくてはならないと強く思ったが、意外な指摘をされてしまった。

「でもね、残念ながら養殖モノの味は同じなのです。年中同じ生け簀で同じ餌を食べているわけですから旬というものがないのです」

 そう言われればその通りだった。

「でも、天然モノは違います。季節によっても泳いでいる場所によっても海流によっても食べる餌が変わります。だから獲れる時期や獲れる場所によって味が違うのです」

 そして鮮魚コーナーに並ぶ魚を指差して、「脂が乗った旬の魚は本当においしいから、それを味わってもらったらもっと多くの人が魚を好きになってもらえると思うんですよ」と確固とした声を出した。

 その通りだと思った。
 それだけでなく、心の底から海を愛し、魚を愛している人だと思った。
 
「2年前に思い切ってこの場所へ店を出してから信じられないくらい多くのお客様に来ていただきました。その評判が広がり、多くの同業者が見学に来てくれました。その人たちと話していると、自分と同じ想いの人がいっぱいいることを知りました。そこで、思いついたのです」

 何を?

「同じ想いの人達と一緒に仕事ができないかなって」

 ん?

「来月、会社を立ち上げます」

 えっ?

「さかなや恵比寿さんホールディングスです。将来はここと同じような店を首都圏に100か所作りたいと思っています」

 凄い! 

 新たな鮮魚流通グループの誕生に興奮を隠せなくなった。
 それだけでなく、ビジネスチャンスの匂いを強く感じたので思わず大きな声が出た。
 
「弊社も仲間に入れていただけませんか?」 

「えっ、仲間って、御社をですか?」

「はい、そうです。環境に優しい漁法で獲った魚を仕入れるお手伝いをしたいのです」

 しかし、言ってはみたものの、初対面でこんなことを聞き入れてもらえるはずはないという思いが一気に湧いてきて不安になった。
 ドキドキしてきて顔をまともに見ることができなくなった。
 しかし、彼の優しい声がそれを打ち消した。
 
「さすが海利社長の会社の人は違いますね。わかりました。正式なオファーをいただければ前向きに検討させていただきます」

< 50 / 111 >

この作品をシェア

pagetop