🌊 海の未来 🌊 ~新編集版~
「ご発言はございませんか」

 再度問いかけたが、会場から反応はなかった。
 それでも谷和原はもう一度会場を見回した。
 前よりもゆっくりと。
 それは、性急な議事運営を避けるようであったし、出席者に考える時間を与えているようでもあった。
 
「ご発言のある方はいらっしゃいませんか」

 更に問いかけると、今度は手が上がった。
 駿河湾の漁師、粋締だった。
 
「私は規制賛成派です。大の賛成派です。この案を強く進めていきたいと思っています。しかし、漁師の中には反対の人が数多くいるのも事実です。その人たちをわからずや(・・・・・)と切り捨てるのは簡単ですが、そんなことをすれば漁師の間に分断が起こり、禍根(かこん)を残しかねません。彼らの存在を無視してはならないのです」

 粋締は、食い入るように見つめる取出の顔を見た。
 
「私たち出席者は3回の議論を通して多くの情報を得ました。だから、しっかりと問題点を把握し共有できています。ですので、メンバー間で規制の合意ができているのは間違いないと思っています。しかし、だからこそ、拙速な結論は避けるべきだと思っています」

 規制強硬論者だった粋締が自制するように言葉を選んだ。
 
「自分と異なる意見を排除するのではなく、その根底にあるものを理解する努力をしなければなりません。そうすることによって、表面的な相違に目を奪われることなく、本質的なアプローチができるようになるのです」

 しかしこの発言には多くの出席者が戸惑いのようなものを見せた。
 抽象的過ぎてよくわからないというような表情を浮かべていたのだ。
 すると、それに気づいたようで、粋締はスパッと問題点を指摘した。
 
「反対派の漁師の最大の理由は、生活不安です」

 その途端、じっと見つめていた取出が大きく頷いた。
 
「規制=収入減という図式が頭にこびりついています。これを取り除くことが重要なのです」

 取出が身を乗り出した。
 発言したくてうずうずしているようだった。
 
「それに、今回の3つの議案はすべてが密接に関わりを持っています。どれかを切り離すことはできません。ですので、この規制案だけを抜き出して賛否を問うのではなく、すべての議題を話し合った上で、海、魚、漁師、流通業者、消費者、そのすべてが幸せになれる規制案かどうかを問えばいいのではないでしょうか」

 すると、もう我慢できないというように取出が手を上げた。
 
「粋締さんの意見に大賛成です。漁師の心を一つにするためには、規制=収入増という明るい未来の提示が必須なんです。そのためにも、規制の背景にあるものや規制によって何が変わるかなどのわかりやすい説明が必要なんです。私のような規制に懐疑的な漁師でも納得できるよう、全体的な取り組みの議論を優先してください」

 それを受けて谷和原は会場をゆっくりと見回した。
 誰もが賛意を表しているかどうか確認しているようだった。
 確認を終えた谷和原が豪田に視線を送ると、彼女は顎を引くように頷いた。
 
「貴重なご意見を賜り、誠にありがとうございます。個別案件の賛否という進め方ではなく、全体的な取り組みの議論を優先するという方向性でよろしいでしょうか」

 静かではあったが、賛意の拍手が会場から戻ってきた。
 
「ありがとうございます。それでは、皆様の総意に基づき、次の議論へ進めたいと思います。そこで、ご了承いただきたいことがございます。この研究会では、お忙しい皆様の貴重な時間をお預かりしておるわけですから、一分一秒たりとも時間を無駄にはしたくありません。予定を変更することになりますが、翌日に予定しておりました『漁師や水産業にかかわる人たちが希望を持って働ける環境をどう作り上げていくか』というテーマを、本日午後に繰り上げたいと存じます。お昼休憩後、再度お集まりください」

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