🌊 海の未来 🌊 ~新編集版~
 午後の会合が始まった。
 スクリーンには日本とノルウェーの沿岸漁業者の収入比較が映し出されていた。
 ポイントになるところにペンライトを当てながら谷和原が説明を始めた。
 
「ノルウェーの沿岸漁業者の平均収入は日本の沿岸漁師の倍以上となっています。そのため、仕事に対する満足度も高く、若い人にとって魅力ある仕事となっているようです。漁師に占める60歳以上の比率が約10パーセントという事実がそれを証明しています」

 すると、〈そんなに違うのか〉と驚いたような表情で権家と取出が顔を見合わせた。

「ノルウェーを含めた外国の漁師の収入が高いのは生産性の高さに由来しています。逆に言えば日本の漁師の生産性は驚くほど低いのです。そこで、日本の漁師の生産性を上げるために何をすべきかということについて忌憚(きたん)のないご意見をいただきたいと思います」

 すると、待っていたとばかりに漁業コンサルタントの真守賀が手を上げた。

「日本の漁師は価値の低い魚を獲りすぎています。売値が低い稚魚や幼魚まで獲っているので生産性が上がらないのです。日本の市場法では、密漁などでなければ魚が小さかろうと旬の時期でなかろうと、市場で取り扱いができます。これを改めて、稚魚や幼魚は扱ってはならないとか、旬に獲れた魚しか販売できないようにするとか、規制すべきではないでしょうか」

「賛成です」

 さかなや恵比寿さんホールディングスの差波木が手を上げていた。

「脂が乗っていない魚が数多く店頭で売られているのが現状です。それを買った消費者は旬ではない魚を食べているのです」

 そして、ファイルから取り出した新聞の切り抜きを出席者に見せるように掲げた。

「とても残念な調査結果が出ています。小学生を対象にした〈給食で嫌いな食べ物〉という調査です。1位はなんだと思いますか?」

 会場をゆっくり見回した。

「見たくも聞きたくもない結果です。1位は魚なのです。嫌いな食べ物の1位が魚なのです。そして、2位が野菜です」

 そこでいきなり切り抜きを破り捨てた。

「脂の乗っていない、かつ、冷えた魚を、それも牛乳と一緒に食べているのが原因と思われます。色々な事情があるのでしょうが、これではどんどん魚離れが進んでしまいます」

 粋締がたまらなくなったように手を上げて話を引き継いだ。

「今の子供たちが大人になった時、魚を好んで食べる人がどれくらいいるのでしょうか。考えたくもありませんが、魚食文化の崩壊が始まっているという危機感を持たなければならないと思います」

 重苦しい雰囲気が漂ってきたが、彼の口は止まらなかった。

「おいしい魚を食べてもらうためには、我々漁師が脂の乗った旬の成長魚に絞って漁を行い、それを流通業者や販売業者が鮮度を保って提供するという意識を高め、着実に実行することが重要です。獲れればなんでもいい、売れればなんでもいい、という考えでは水産業の未来はありません」

 すると、取出が〈ちょっと待って〉というような感じで手を上げた。
 
「そう言われても、私たちは何も好き好んで安い魚を獲っているのではありません。漁師は日々の生活の(かて)を得るために仕方なく小さな魚まで獲っているんです。漁師にも家族がいます。みんなを食べさせていかなければならないんです。子供を学校にやらなければならないんです!」

 彼女は自身のことを話し始めた。
 夫に先立たれて一人で子供を育てていることや、中学生の息子と小学生の娘を路頭に迷わせるわけにはいかないことを切々と訴えた。
 しかし、年々漁獲高が減って生活が苦しくなっている現実に不安を覚えていることや、このままでは間違いなくじり貧になって生活破綻するかもしれないということにも言及した。
 
「今までのやり方ではダメだということは、みんな薄々気づいています。気づいているんですよ。わかっています、そんなこと。でもね、先のことより今日のことが大事なんです。仕方ないでしょう、生きていかなきゃいけないんだから」

「その通りだ、本当にその通り。取出さんの言う通りだ」

 権家が立ち上がった。
 
「でもね、外国の漁師の収入を聞いて驚いた。日本の倍以上とは、本当に驚いたよ」

 会場の奥に座っている長男へ視線を向けた。
 
「このままずるずると座して死を待つわけにはいかない」

 声に強い決意が漲っていた。
 
「断ち切らなければいけないんだ、この悪い流れを」

 そしていきなり谷和原の方を向いた。
 谷和原はその意図を理解したのか、頷きを返した。
 
「悪い流れを断ち切るための切っ掛けとして、漁業水産省から提示された漁港活性化案を真剣に検討しました。事務次官、皆さんにご案内願います」

 それを受けて谷和原が漁港活性化案を説明すると、外部の力を取り入れる意欲的な内容に会場の誰もが驚きの声を上げた。
 
「事務次官が提示された漁港活性化案を漁業連盟は全面的に賛成し、推進することに同意しました。これは大きな方針変更になります」

 そして権家はぐっと顎を引いた。

「漁業連盟は考え方を変えます。『海は漁師のもの、港は漁業関係者のもの』ではなく、『海はみんなのもの、港もみんなのもの』と」

 するとこの話を待っていたかのように権家の長男が手を上げた。
 彼は〈漁業連盟の漁港活性化推進本部長に就任した〉と自己紹介して、言葉を継いだ。
「漁港活性化法案は現在国会で審議中ですが、正式な省令改正に備えて漁業連盟では漁港活性化推進本部を立ち上げ、準備を始めています」

 全国の主な漁港に複合型の魚食施設を設置し、観光客を呼び込むことを検討しており、その目玉は〈港の駅構想〉だという。

「全国には1,000を超える道の駅がありますが、同じ規模で港の駅を造ることは可能だと思っています。何故なら、漁港は全国で約2,800あるからです」

 具体的な説明が始まった。

「現在の漁港の役割は、漁船の出漁準備や水産物の陸揚げ機能、加工機能、流通機能が主ですが、今後は一般の消費者が新鮮な旬の魚をその場で食していただく機能を付加したいと考えています」

 省令改正を待たずに自らリスクを取って先進的に始めている漁港の名を挙げた。

「これらの漁港では、明らかに観光客が増えています。更に」

 彼は大伸ばしにした写真を掲げた。

「このような解体ショーを行っているところでは、休日の観光客数が半端ないレベルに達しています」

 会場がざわざわしてきた。

「そして、この先進的な試みをしている漁港に魚を陸揚げしている漁師の収入は、明らかに増えています」

 もう1枚の写真を掲げた。
 漁師たちの笑い声が聞こえてきそうな笑顔溢れる写真だった。
 
「量を追う漁から、質を追う漁に変わったからです。つまり、生産性が向上したのです」

 漁師たちの足元には、立派に大きく育った魚が並んでいた。

「更に、」

 長男がぐっと胸を張った。

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