月に歌う
彼はスマホを持っていないようだし、自宅の電話番号も知らないし、学校だって違う。
通学の行き来の電車の、乗り込む車両がいつも同じと言う共通点しかないのだ。
でも、私は知っている。
年配の方や、妊婦さん、子連れの親子、疲れていそうな人や調子の悪そうな人、果てには公共の乗り物であるこの電車の中で恥ずかしげもなくボロボロと涙を流している女子高生にまで、席を譲ってくれるような優しい男の子だと言うことを。
同級生にしつこく、毎日のようにブスだ、って。
陰口を叩かれ続けて、私はその日、たまらずに帰りの電車で思わず泣いてしまったのだ。
ハンカチで顔面を覆って、恥ずかしさで身体が熱くて、脚がワナワナと震えて、私はしゃがみこんでしまいそうだった。
…手を、つかまれて。
驚いて振り返ると、学ラン姿の彼が立っていた。
身振り手振りで、座るようにと私に勧めてくれた。
彼は、自分が誰かに譲ってもらったのであろう優先席に、私の手を引いて連れて来ると、にこりと笑った。
その時、彼の鞄に、ヘルプマークがついていることに気がついた。