魔導具店『辺境伯の御用達』 ーThe margrave's purveyorー(ザ・マーグレーヴス・パーベヤー)
 以下の文章を読んだ瞬間、私は目の前が真っ暗になった。

 父と交わしたという契約に付いては内容すら知らないが、あの屋敷で私が家族の言うことに逆らうのは不可能だった。靴を舐めろと言われれば舐めたし、毒を飲めと言われれば飲んだだろう。内容の分からない署名をしたことなどひとつやふたつでは済まない。

 同時に、この時が来たかとも思った。私は家族たちに見つかる気配がないのをいいことに、完全に彼らを忘れ去ったふりをして日々を過ごしていた。ディクリド様を始めとした、ハーメルシーズ領の温かな人たちとの交流に苦しい過去の感情を持ち出さず、優しい毎日にただ浸っていたかった。その報いが今来たのだ。

(行かなきゃ……)

 それでも……こうなってしまったからには、逃げ出すわけにはいかない。
 いち王国民である私が、国という大きな国家権力に逆らう力などあろうはずもない。私がこの窮状を訴えれば、ディクリド様たちは力を貸してくれようとするかもしれない。しかし彼ですら、この国の地方を仮に任された領主でしか無い。そして、私のせいで彼らまで巻き込んでハーメルシーズ領になんらかの不利益を与えることになりでもしたら……。
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