ショパンの指先
「駄目だ」

 洵が突然冷静な顔になって、私を突き放した。さっきまで熱いキスを繰り返していたのに、どうして。冷静な顔がひどく薄情に見えた。

「どうして?」

 私は懇願するように身体を押し付ける。この火照った身体はどうすればいいの。

「どうしてもだ。責任が取れない」
「責任なんて取らなくていい。お願い」

 私はキスをせがんだ。けれど、洵は顔を背けて私を突き放そうとする。

「もう俺に近付くな!」

 洵は頭を掻き毟り、唐突に叫んだ。

「嫌よ! 絶対に嫌!」
「杏樹……」

 困ったような、怒っているような瞳だった。

「どうして離れなきゃいけないの!? 洵のことが、こんなにも好きなのに!」

 私も負けずに叫んだ。気持ちが溢れてきて瞳に涙が浮かんだ。

「もうこの家には来るな。合鍵も返してもらう」
「嫌よ! 絶対返さない!」
「それなら鍵穴を変えてもらうまでだ。早くここから出て行け!」
「どうして!? 今まで二人で楽しく生活していたじゃない!」
「いいから早く出て行け!」

 洵は部屋に響き渡るような大きな声で言った。
 私は突然のことで、わけが分からなくなって、涙を流しながら恨めしそうに洵を見つめ続けたけれど、洵は私の顔を見ようとはしなかった。

「もうしないから。もうキスもしないし、抱いてほしいとも言わない。だからお願い、出て行けなんて言わないで」

 泣きながら哀願しても、洵は表情一つ変えずに、玄関の方を指さしたまま私の顔を見ようとはしなかった。
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