ショパンの指先
 俺はカウンターに座りながら、優馬が華麗な手さばきでカクテルを作る様子を眺めていた。

 明日になれば、いつものように弾ける保証なんてどこにもない。俺はまた、ピアノを弾けない日々に戻ってしまうのかもしれない。そう思うと、不安でたまらなくなった。

「どうぞ」

 優馬が作ったカクテルを、ゆっくりと味わうように口につける。あっさりとしていて、心が少しだけ落ち着いた。

「なんかあったの? あんたら」

 あんたらと言うのが、杏樹のことを指しているのだということはなんとなく分かった。杏樹は毎日店に来ていたから。急に来なくなって、俺があんな状態なのを見たら、誰だって勘づくだろう。

「……別に」

 そっけなく答えると、優馬は「そう」とだけ言った。自分からその話題を打ち切ったはずなのに、なんだか話したくなっていた。優馬には、そういう不思議な雰囲気を持った男だった。話す気なんかなかったのに、いつの間にか話している。そして打ち明けると、不思議と気持ちが楽になっているのだ。

「俺ってさ、どうしようもなく不甲斐ない男だと思う。自分のことしか考えてなくて、弱くて、好きな女に好きとも言えない根性なしでさ。守ることも、大切にすることも、側にいることさえできない。気分次第で近付いて、突然切り捨てたりして。色んな理由つけて自分を正当化させて、単にさ、臆病なだけだ。これ以上好きになって、失ったとき傷付くのが。相手のことを考えているふりして、結局自分が傷つくのが怖いんだよ」

 優馬は少し驚いた顔で、俺を見た。いつも自信過剰で口の悪い俺が、こんなことを話すなんて意外だったのだろう。俺だって意外だ。俺がこんなに弱くて、どうしようもない男だなんて、杏樹に出会うまで気付かなかった。
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