ショパンの指先
 ご馳走する、という言葉に一瞬傾きかけたが、私は首を振って断った。

「いいえ。一人で飲みたい気分なので」
「そう、残念だわ」

 遠子さんは言葉通りとても残念そうな顔をして、テーブル席へ歩いていった。

 どういうつもりなのだろう。前に一度店で会ったとはいえ、会話するのは今日が初めてだ。洵と私の関係を知っているのだろうか。洵が喋った? まさか、あの洵が自分から話すなんてあり得ない。

やっぱり前に会った時に勘付いたのだ。凄い直感だ。

でも私も、遠子さんを一目見ただけで、洵とただならぬ関係であることを感じた。女の第六感は、どうしてこんなにも研ぎ澄まされているのだろう。好きな人のことになるとなおさらだ。

ただ二人の間に流れる空気や、相手を見る瞳を見るだけで分かってしまう。洵が初めて「遠子さん」と名前を何気なく出した時に、肌に砂塵が纏わりつくような嫌な胸のざわつきを感じた。

声のトーンや言い慣れたかんじ。名前を呼ぶ時に、情のようなものが自然と込められているような気がしたのだ。きっと遠子さんも、私達を見た時、同じような何かを感じたのだろう。女にしか分からない、理屈では説明しきれない感覚を。

 カウンター席のバーチェアーに座ると、優馬が親しみを込めた笑顔を向けた。

「久しぶり」
「どうも」

 私はなんだか少しだけ気恥ずかしくて、首を少し竦めて挨拶した。

優馬の瞳はなんでもお見通しのように感じられて、私の心の中を全て見られているような気がしてしまうのだ。私がどんな思いでこの店に来たかも、泣いて塞ぎ込んでいた最近の様子も全部知られているような、そんな気がしてしまって酷く恥ずかしい。

「なに飲む?」

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