ショパンの指先
周りの景色が見えなくなった。私に見えるのは、私を見つけて驚いた表情で佇む洵の姿だけだ。なぜか涙が込み上げてきた。音も何も聞こえない。この世界に洵と二人だけしかいないように感じた。

洵を見ただけで涙が頬に伝うから、気持ちが丸わかりすぎてかっこ悪いなと思って、手の平で乱暴に涙を拭って、気恥ずかしさを隠すようにへらっと笑った。すると洵も、泣きそうな顔になって、同じくへらっと笑った。

たった数日間会えなかっただけで、馬鹿みたいに切なくて苦しくて、洵の顔を見ただけで泣けてしまうのだから、私はもうどうかしている。洵は私を見て、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑って、それからストンとピアノの椅子に腰をかけた。

洵の雰囲気が一瞬にして変わった。とても鋭い表情をして、指先を上げて一気に鍵盤に叩きつけた。

『革命のエチュード』

ショパンの怒りをぶつけたようなこの作品は、聴く者をゾクゾクと身震いするような感覚に引きずり込ませる。

洵は無我夢中で『革命のエチュード』を弾いていた。その姿は何かがとりついたかのようだった。身体を上下に揺らし、情熱を叩きつけるようだった。

洵はいつも最初に『革命のエチュード』を弾く。それは自身の孤独や絶望を表現したものだった。何かに縛り付けられているかのような圧迫感が感じられた。けれど、今日の『革命のエチュード』は違っていた。

洵を縛り付ける縄を素手で引き千切ろうとしているかのような迫力があった。洵は弾きながら何かと戦っていた。それは激しく情熱的だった。自らの感情を全てぶつけるような緊迫感があった。

洵の額から汗が滲み、指先から血が出るのではないかと心配になるくらい、強く鍵盤を叩き続けた。最後の一音を弾き終わった時、店内は異様なほどシンとしていた。洵の激しい息遣いだけが聞こえる。

パン、パンと拍手の音が聞こえ、横を見ると優馬が手を叩いていた。
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