ショパンの指先
ハッと我に返った私もその後に続いて拍手をすると、店内は大歓声となり大きな拍手で包まれた。

感動して私は泣いていた。すごい、すごいよ、洵。やっぱり洵は天才だ。

店内がスタンディングオベーションで大拍手になっているのを、洵は驚いたように見渡していた。

洵は呆けている遠子さんの横を通り過ぎて、真っ直ぐに私の元に歩いてきた。洵が近付いてくると、胸がドクンドクンと唸った。胸の高鳴りとは少し違う、怖い気持ちも混ざっていた。何を言われるのだろうと身を固くしていると、洵は真剣な顔付きで私を見つめた。

「杏樹……」

 洵の言葉は、私を有頂天にもさせるし、一気に絶望に叩きつける力を持っている。私は怯えながら、洵の次の言葉を待った。

 その時だった。

「やっぱりここにいたか」

 粘りのある嫌らしい声だった。背中がひんやりと凍りつく。後ろを振り返らなくても分かる。この声の主は……。

「杏樹?」

 洵は私が青ざめたことに気が付いて、小首を傾げて顔を覗き込んだ。

 足が震えている。逃げ出したい、今すぐに。けれど、出口は声が聞こえた方向にある。振り返りたくない。もう顔も見たくない。

「杏樹、逃げても無駄だぞ。お前は俺のものだ」

 私は深呼吸をして決意を固めた。ここでペラペラと余計なことを話されても困る。なんとか穏便に事を済ませなければ。

「連絡しないでごめんなさい。とりあえず外で話しましょう」

 私は振り返り、有村の顔を見ないようにして足早に店を出ようとした。しかし有村は、いつもの人を小ばかにしたような笑みを浮かべて、有村の横を通りすぎていこうとした私の腕を掴んだ。
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