ショパンの指先
 有村に向かって大きな声で言い放つと、有村は歪めていた口元をきゅっと結び、無表情で私の頬を平手打ちした。

 突然のことで、何が起こったのか私含めて周りの人達も分からなかったようだ。辺りが一瞬、シンとした。

「おい! お前!」

 洵が怒りに満ちた目で有村に食いかかった。

「いいの! 大丈夫、私は大丈夫だから」

 私は洵と有村の間に立ち、二人がこれ以上近付けないようにした。

「杏樹はよっぽど君に仕事を知られたくないようだ。それもそうか、俺が手配した客に足を開いて身体を売っているなんて、好きな男には知られたくないよなぁ?」

 目の前が真っ暗になった。立っていられないほどの眩暈がして、私はその場で床に座り込んだ。

「え……?」

 洵が驚いて零した言葉が、胸にズシンと重く響いた。終わった。終わってしまった。

 私たちの様子に、有村はとても愉快そうにクククっと喉を震わせて笑った。悪魔に見えた。

 放心状態の私を見て、洵は有村の言葉が真実だと理解したようだった。洵はわなわなと肩を震わせて、悔しそうに唇を噛んでいた。

「どうだ、軽蔑しただろう。こいつはそういう女だ。絵を描き続ける生活ができるなら簡単に男に股を広げる娼婦のような女だ。面倒くさがりで、楽なことしかしない。いつも嫌なことから逃げている。今回も俺が嫌になったからって簡単に逃げようとしたみたいだが、俺はそう簡単に手放さないぞ。杏樹には身体を使って俺の絵を売ってもらう。逃げられると思うな!」

 有村は最後の語尾を怒鳴るように大声で言った。その声に私はビクっと肩を上げ、恐怖が襲ってきた。有村に目隠しをされて無理やり犯された日の恐怖がフラッシュバックしたのだ。

 逃げられない。私はこいつから、逃げられない。
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