ショパンの指先
 洵の演奏は一皮剥けたように洗練され深みが増していた。ゾクゾクするような大人の男の色気を感じさせた。感情表現が豊かになり、身体を揺らしたり、指を大きく上げたりして、曲に身体全体で入り込んでいるといった様子だ。

 洵が演奏を終えると、私は隣でパチパチと拍手をした。私だけのために演奏してくれたことが嬉しくて、この感動を胸に刻みつけようと思った。

「どうしたらこんな綺麗な音が出るの?」

 私は試しに鍵盤を人差し指で押してみた。ボーンと太い音が出た。

 洵は微笑みながら、私が鳴らしたドの音を人差し指で軽くタッチした。ポンっと軽い音が返ってきた。同じ音を弾いているのに、こんなに違うものなのかと感心した。

「私もなにか弾けるようになりたいわ」
「じゃあ一小節だけ教えてあげよう」

 そう言って洵は雨だれのプレリュードのメロディを右手でゆっくりと弾いた。私も隣で真似して弾く。同じように弾いているのに、私の音は野太くて全然甘い雰囲気が出せない。

「私、ピアノは向いてないみたい」

「そんなことない。俺だってこの音を出せるようになるまで十年以上かかった。諦めるのはまだ早いよ」

洵は私の腰を引き寄せ、後ろから抱きつくような恰好になって、私の両手に手を乗せた。洵の顔が、私の肩に乗る。吐息が耳にかかってゾクゾクする。私の右手に洵の大きな右手が乗り、私の左手の上にも洵の左手が乗っかった。そして洵は私の指先を軽く押して、ピアノを弾き始めた。

洵が耳元でメロディーにのせながら音符を口ずさみ、指先を使いながら手取り足取り教えてくれるので、私はなんとか拙いながらも一小節弾くことができた。

「できたわ、洵!」

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