ショパンの指先
 ……最初はただ、どこかに出掛けたのだろうと思っていた。

 一言声を掛けてくれればいいのに、なんて軽くムッとしただけだった。元々洵の家には物が少なかったし、あれがないこれがないなんて私に分かるはずもなかった。

 洵のベッドで、しばらく一人でゴロゴロした後、泊まっていたビジネスホテルに戻ってチェックアウトした。久々に自分の家に帰ると、玄関のドアがへこんでいた。有村が蹴ってへこませたのだろうと思い、また少し怖くなった。

 でも、もう覚悟は決めた。もしもまた有村が私の元に来たら警察を呼ぼう。風俗営業法に引っかかって、私も捕まるかもしれないけれど、有村に捕まり続けるよりはマシだと思った。

ただ一つ、洵に会えなくなるのかだけが気がかりだった。無理やりやらされていたと言ったら情状酌量されて長い間拘置所に入れられるということにはならないだろう。まさか刑務所に入れられることはあるまい。

 私は引っ越しの準備をすることにした。このマンションは有村が名義になっている。早く新しい家を見つけなければ。

 日が暮れてすっかり夜になった頃、ようやく荷物が片付いた。当面の資金作りにほとんどの物は売ろうと思う。私には高級バックや洋服、宝石類などのアクセサリーが沢山あった。皮肉にも有村から貰ったお金で買ったものや、この仕事をするようになってプレゼントされた物がほとんどだ。有村に没収される前にお金に換えてしまおう。

 そう思っていた矢先だった。

 鍵を掛けていたはずなのに、玄関のドアが開く音がした。そして入ってきたのは、瞼と頬を腫らした有村だった。

「何しに来たの?」
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