ショパンの指先
私は白い紙紐を切るために使っていたはさみが床に落ちていることに気が付いた。有村が無理やり私の服を脱がそうとしている一瞬の隙にはさみを握り、刃先を有村の首筋に当てた。

「……なんのつもりだ」
「私は本気よ。どいて」
「はさみで人が殺せると思っているのか?」
「殺せなくても突き刺すことはできるわ。そしてその足で私は警察に行く。私は本気よ」

 有村は私の瞳をじっと見下ろした。不気味な静寂が流れる。

「……分かったよ」

 有村はため息を吐いて、私の上から退けた。私はまたいつ有村が襲ってくるか分からないので、はさみを両手で握りしめ刃先を有村に向けた。ドクドクドクと心臓がすごい音を立てて鳴っている。

「本当は、今日これを渡しに来た」

 そう言って有村はジャケットの中から茶色い封筒を床に投げた。落ちたはずみで、封筒からお札が顔を出した。

「なにこれ」
「手切れ金だ。十万ある。お前はもういらない。世の中を恨むような瞳で、愛だの恋だのをくだらないことだと侮蔑するようなお前が好きだった。色んな男にやられても、一切気にせず輝いている杏樹を俺は気に入っていた。好きな男ができて、そこら辺にいくらでもいる馬鹿な女共と変わらなくなったお前にもう興味はない」

「いらないわ、お金なんか」
「受け取れ。そして絶対に俺や俺の会社に迷惑を掛けないと誓え」
「……分かったわ。警察には言わないし、マスコミにもバラさない」
「よし」

 口止め料にしては少ない金額だとは思ったけれど、ケチな有村らしいと思った。これでようやく有村から解放される。

「必要な物だけ持って出て行け。この部屋は俺のものだ」
「いいわ。すぐに出て行く」

 有村は無言で頷くと、そのまま家から出て行った。
< 153 / 218 >

この作品をシェア

pagetop