ショパンの指先
 私は一気に自分の気持ちを真っ直ぐに伝えた。今まで漠然とした不安感が、どこから来ていたのか分からなかったけれど、洵と会うことで自分の気持ちがはっきりと見えた。

「……杏樹。杏樹らしい答えだとは思う。でも、これがラストチャンスだ。俺はポーランドに行ったら、もう日本にはしばらく戻らないつもりだ。ヨーロッパで音楽の修行をする。俺は必ずショパンコンクールで成果を上げて、世界をあっと言わせてやる。だから杏樹、俺に付いてきてほしい」

「大丈夫よ。洵なら一人でも夢を叶えられる。むしろ洵は一人の方がいいのかもしれない。私の存在が重くなる」

「もう好きな女一人支えられないくらい弱い男じゃない。俺には杏樹が必要だ!」

「私がいなくても、大丈夫だったじゃない。洵は夢の切符を手に入れた。だからこれからも一人でやっていけるわ」

「杏樹は、杏樹は俺がいなくても大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、現に洵がいない数カ月、平気だったもの」

 洵は黙り込んだ。……本当は平気なんかじゃなかった。毎日泣いて、苦しくて、寂しくて、自分を責めた。辛かった、本当に。会いたかった。また会えなくなるなんて、身を切られるように辛いけど、でも付いていけないから。それじゃ、お互いダメになる気がする。

「……俺は、杏樹が側にいてくれない未来なんて想像できない」

 洵の声が震えていた。さっき、しっかり決意して自ら別れを告げたのに、洵のそんな声を聞いてしまったら、心が揺らぐ。グラグラグラグラ、楽な方へと転がり落ちてしまいたくなる。
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