ショパンの指先
 あの日から数日間、私はどこか調子がおかしかった。

 あの日とは、亀井さんに連れて行ってもらったレストランで衝撃的なピアノを聴いた日のことだ。

いつだって、どこにいたってあのピアノの音が耳から離れない。

大好きなショッピングに出かけても心から楽しめない。

煙草を我慢している時みたいに、なんだか落ち着かなくてソワソワし、お気に入りの曲を聴いても、絵がはかどらなくなった。

もっと私を突き動かす情熱が欲しい。

スピーカーから流れる音楽じゃなくて、演奏者から直に発せられる繊細な感情に触れたい。

誰でもいいわけじゃない。彼の、あのピアノが聴きたい。あのピアノを聴きながら絵が描きたい。


私はなかば衝動的に、あのレストランに来ていた。

一人なのでバーカウンターに座る。

綺麗なターコイズブルー色のカクテルを飲みながらピスタチオをついばむ。

目の前には、いかつい顔に顎髭を生やしたバーテンダーがシェイカーを振っていた。

「ピアニストはまだ?」

バーテンダーに尋ねる。

いかつい顔をしたバーテンダーは、一瞬値踏みするような眼差しで私を一瞥すると、「洵目当て?」と言った。

「じゅん?」
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