ショパンの指先

最終楽章 ショパン名曲集

「杏樹!」

 人ごみの中、私を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、ジャケット姿の優馬が軽く手を振って佇んでいた。

 お店の制服姿ではない優馬を見るのはこれが初めてで、新鮮なかんじがしてなんだか照れ臭くなった。優馬の見た目は普通の男の人と変わらないし、言うなら普通の男の人よりもワイルドでかっこいいくらいだ。

「ああ良かった、会えて。この人ごみの中だから、優馬を見つけられないかもしれないと思って焦っていたところよ」

 私が優馬に駆け寄ると、優馬は苦笑いをしていた。

「私はすぐにあんたを見つけられたわよ。なにそのサングラス。セレブぶっているの? それとも芸能人の真似?」
「これは……変装っていうか、気付かれないようにというか……」

 私は掛けていた大きめのサングラスを指先で弄りながら、口を小さくすぼめながら言葉を濁した。

「はあ? なんのために。遠子さんなら来ないわよ」
「それは知っている。遠子さんじゃなくて……洵に……」

 言葉尻を消え入るように言った私に対して、優馬は大きな口を開けて笑った。

「心配しなくても、この大人数の観客の中からあんたを見つけ出すことなんて不可能よ。それに、あんためちゃくちゃ目立っていたわよ。逆効果、悪目立ちしている」

 私は口を尖らせて、乱暴にサングラスを外した。確かにさっきから視線が気になるなと思っていたけど、悪目立ちしているとは思わなかった。いつもなら露出の高いワンピースだけを着て行くところを、今日は目立たないように上にジャケットを羽織ってきたというのに。
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